向田邦子は、往生際の悪い悪女だったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(459)】
散策中に、群生しているキバナコスモスに出会いました。カサブランカの濃厚な香りが道まで漂ってきます。ラズベリーの赤い実と白い花に目を引かれました。ブルーベリーが実を付けています。いろいろな色のコリウスも頑張っています。サトイモも元気に育っています。因みに、本日の歩数は10,276でした。
閑話休題、久しぶりに向田邦子の世界に浸りたくなって、最後のエッセイ集『夜中の薔薇』(向田邦子著、講談社文庫)を手にしました。
「手袋をさがす」は、短いながらも自叙伝の趣があります。
「私は子供の頃から、ぜいたくで虚栄心が強い子供でした。いいもの好きで、ないものねだりのところもありました。ほどほどで満足するということがなく、もっと探せば、もっといいものが手に入るのではないか、とキョロキョロしているところがありました。玩具でもセーターでも、数は少なくてもいいから、いいものをとねだって、子供のくせに生意気をいう、と大人たちのひんしゅくを買ったのも憶えています。おまけに、子供のくせに、自分のそういう高のぞみを、ひそかに自慢するところがあって――ひとくちにいえば鼻持ちならない嫌な子供だったと思います」。
「自分に何ほどの才能も魅力もないのに、もっともっと上を見て、『感謝』とか『平安』を知らないこの性格は、まず結婚してもうまくゆかないだろうな、と思いました」。
「しかし、結局のところ私は、このままゆこう。そう決めたのです。ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう。そう決めたのです。二つ三つの頃からはたちを過ぎるその当時まで、親や先生たちにも注意され、多少は自分でも変えようとしてみたにもかかわらず変らないのは、それこそ死に至る病ではないだろうか」。
「四十を半ば過ぎたというのに結婚もせず、テレビドラマ作家という安定性のない虚業についている私です。しかも、今なお、これでよし、という満足はなく、もっとどこかに面白いことがあるんじゃないだろうか、私には、もっと別の、なにかがあるのではないだろうか、と、あきらめ悪くジタバタしているのですから」。
向田の凄さがよく分かるエッセイです。自分の短所を的確に認識していること。その短所を矯めようとせず、世間の常識に妥協せず生きていこうと決意し、ぶれることなく邁進していること。それらを彼女特有の筆遣いで表現し続けていること。
それこそ、ないものねだりと言われそうですが、向田が51歳で事故死しなかったら、その後、どんな作品を提供してくれただろうかと思わずにいられません。