オオカミが消えると森が死んでしまうという仮説・・・【MRのための読書論(63)】
大型肉食獣と生物多様性
優れたMRは、仕事上の仮説を立て、それを自らのMR活動を通じて検証していくのだが、この意味で『捕食者なき世界』(ウィリアム・ソウルゼンバーグ著、野中香方子訳、文藝春秋)は参考になる。また、生物多様性に関心を持つ者にとっては、衝撃的な内容が詰まっている本である。
「オオカミなどの頂点捕食者(トップ・プレデター)がいなくなると、森が荒廃してしまう」という仮説の出現が、半世紀に亘り生態学上の世界観を巡る論争を巻き起こしてきたが、この仮説は圧倒的な反対論の前では少数派であり、異端扱いされてきた。頂点捕食者とは、食物連鎖の捕食ピラミッドの頂点に位置するオオカミ、ピューマ、ハイイログマ、ライオン、ジャガーなどの大型肉食獣のことである。何らかの要因で、このピラミッドの頂点から大型の捕食動物が取り除かれると、生態系は土台から崩れていく。地球上のそれぞれの場所で、その生態系が多様性と安定を保つことができるか、あるいは無秩序で貧弱なものになってしまうかは、頂点捕食者の有無に懸かっているというのだ。
「緑の世界」仮説のエヴィデンス
この論争の発端は、1960年に発表された生態学の3名の異端者、ネルソン・へアストン、フレデリック・スミス、ローレンス・スロボトキンの「緑の世界」仮説に遡る。この世界の陸地が緑なのは、つまり大部分が植物に覆われているのは、草食動物が全ての植物を食べ尽くすことがないからだ。そして、草食動物がこの世界を土だけの世界に変えてしまわないようにしているのは捕食者だ。すなわち地球の緑は捕食者によって維持されているとする仮説だ。アリゾナ州北部のカイバブ台地は、かつて、どこまでも続く草原や湿原が広がる美しい魅惑的な土地であった。しかし、「いてしかるべき敵(頂点捕食者たるピューマとオオカミ)の不在(人間による駆除)が、シカに深刻な不幸をもたらしたことは明らかだ。全体としてシカは、それらの敵によって適正な数を維持し、食料の過剰摂取を防いでいるのだ」と述べられているように、この台地では食料となる植物を食べ尽くしたシカの多くが餓死し、遂に消滅してしまったのだ。ヘアストンらは、この「カイバブの悲劇」を「緑の世界」仮説のエヴィデンスだと主張したのである。
1966年にロバート・ペインの「栄養カスケード」仮説が発表された。ワシントン州のオリンピック半島の海岸で、ヒトデが磯のキーストーン種だということを突き止めたのである。キーストーン種とは、その生物を取り除くと、食物連鎖のピラミッドが崩れてしまうほど影響力の大きな種のことだ。
2001年には、ジョン・ターボが、ベネズエラ東中部のグリ湖の小さな島々で起きた生態系のメルトダウン(熔解)を報告した。肉食動物のいない小さな島は草食動物アカホエザルの天下となるが、やがて食料となる植物を食べ尽くしたアカホエザルは死に絶え、島全体が棘だらけの蔓植物に覆われて、「緑の世界」を土気色に変えてしまった(ハキリアリも一要因)という警告である。
オオカミ導入の成功例
失われた生態系を甦らせるため、遂に科学者が立ち上がった。その最大の成功例は、ワイオミング州北西部を中心とするイエローストン国立公園へのオオカミ導入(復活)と言えるだろう。1995年と翌年にカナダから移された31頭のオオカミが、今では1000頭以上に増え、一方、1990年代に20000頭にまで膨れ上がっていたワピチ(アメリカアカシカ)は、現在、10000頭以下に減っている。これにより森林被害が改善され、生物多様性が回復していると報告されている。このほか、アリゾナ州でも1998年にオオカミが導入されている。
日本のオオカミ導入策
日本でも繁殖し過ぎたシカ、ヤギ、サルなどによる食害が各地で深刻化している。これに対し、オオカミを移入して生態系を回復すべきと主張するグループが現れている。『日本の森にオオカミの群れを放て――オオカミ復活プロジェクト進行中』(吉家世洋著、ビイング・ネット・プレス)は、復活地の第1候補として日光国立公園を挙げている。
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