古本屋店主の哀歓や悩みが、ウィット溢れる語り口で綴られている・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2761)】
オナガ(写真1、2)、アオサギ(写真3~5)、ダイサギ(写真6~9)、カルガモ(写真10、11)をカメラに収めました。ラクウショウの気根(呼吸根。写真12)は木製の地蔵のようです。我が家の庭では、キク(写真14)が咲き、ハナモモ(写真15)が紅葉しています。因みに、本日の歩数は11,723でした。
閑話休題、『早稲田古本劇場』(向井透史著、本の雑誌社)は、東京・新宿・早稲田の古本屋「古書現世」の店主・向井透史の日記風エッセイ集です。
古本屋店主の哀歓や悩みが、ウィット溢れる語り口で綴られています。本大好き人間の私には、古本屋の舞台裏が覗けるという楽しみも!
●2010年8月某日
「早稲田という街は大学の街であって、大学が休みの季節はどうしてもつらい。ぼーっとしていると、無人島で店を開いているのではないかと思うことがあるほどである。それこそ、岩の間からしずくがポタポタと落ちてくるのを掌で受け止めるように、外に出ている百円の本を売って日々の糧に変えているというのが今の自分である」。
●8月某日
「月末間近の、内臓のねじれたまま戻らないような感覚がやってきた。五万円を何度も数える。数えている間に六万円にならないか。そんなことを考えている古本屋番町皿屋敷の日々である」。
●9月某日
「古本屋にとって、本を買ってもらうことはもちろんであるが、売っていただくこともまた嬉しいものである。ましてや、この時期に話がいただけるなんて。『引っ越しで思い切って大量に処分するので、数回にわたって来てほしい』と聞いて、心が海を割ったモーゼ状態に広がる」。
●12月某日
「営業最終日。買取あり、それなりの売上あり、家賃を払い、ささやかだがお金も残り、年を越せそうだ。普通でいいのだ。それが幸せ」。
●2011年2月某日
「お客様がすごく怒ってレジにやってきた。『なんだこれ、汚れがついてるじゃないか! 古本じゃあるまいし!』。いや、古本ですよ・・・」。
●2012年3月某日
「人に寛容であるということは、自分のなかに確固たる芯を持つことでもあるだろう。そして、人の選択を尊重しながら、自分の意思も相手にきちんと伝える。そういう『当たり前のこと』を、昨年からずっと、改めて考えている」。
●7月某日
「古本市でレジを打っていた。帳場で、本を買った若い女性が、ちょっぴり目が合った瞬間に、やわらかい笑顔で会釈をしてくれた。あっ、どこかでお会いしたことあるなぁ。誰だったかなぁ。瞬間がリフレインしている。そんなことを考えながら、思い出せないあの人の笑顔を頼りに、なんとなく古本市の日々を生きている」。
●2017年8月某日
「店をやっている。やっているのだが、いつから早稲田は無人島になったのだろうか。不安になって、一日に何回も外を見に行ってしまう。海の見えない無人島。一応、住所は『東京都新宿区』なんだけど」。
●2920年9月某日
「最近、書店閉店のニュースが多いよなぁ。うちなんか無くなってもニュースにもならず、人知れず消えていくのみの無縁仏古書店であるからして、なんとかひっそりと息をしていかねば」。
●12月某日
「業者は人の思い入れに値段をつけられない。どんな本にも、そこには想いの積み重ねがあることはもちろんわかっている。それでも自分たちは、そこにある本の今現在の価値を見るしかない。その哀しさと、ずっと向かい合ってきた。そんなことを思う」。
●2021年10月某日
「『サイン本買ってくれますか?』と本の持ち込み。しかし、こんなことがあるのだろうか。本はすべて文庫のドストエフスキーであり、表紙を開くと、小学生のような字で、カタカナで『ドストエフスキー』と書いてある。持ってきた男性はじっとこちらを凝視している。『これ・・・』。『ニセモノだとは思うんですが、一応鑑定していただきたく』。『ニセモノです』。『そうですか。すみませんでした』。怖いよ!」。
本を読むことによって、もう一つの人生を味わうことができると、誰かが言っていたように思うが、本書のおかげで、古本屋になったような気分を味わうことができました。