榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『種の起源』は、人間社会に一番大きな影響を与えた金字塔だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2888)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年3月14日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2888)

東京・葛飾の水元公園にて。ユリカモメ(写真1、2)が舞っています。釣り人たちがギンブナ(写真3)やゲンゴロウブナ(ヘラブナ。写真4)を釣っています。モツゴ(クチボソ)が釣れた場合は、もらえることを知っているアオサギがすぐ近くで待ち構えています(写真5)。抱卵しているアオサギ(写真6)、ダイサギ(写真7)、コサギ(写真8)、カワウのコロニー(写真9、10)、羽を乾かすカワウ(写真11)、ニホンアカガエルの幼生(オタマジャクシ。写真12)をカメラに収めました。行き合った昆虫に詳しい二人のアドヴァイスのおかげで、リンゴキジラミ(写真13)、ヤヨイヒメハナバチ(写真14)を撮影することができました。因みに、本日の歩数は18,697でした。

閑話休題、『ぼくは古典を読み続ける――珠玉の5冊を堪能する』(出口治明著、光文社)で、とりわけ印象に残ったのは、●チャールズ・ダーウィンの『種の起源』、●コンドリーザ・ライスの『ライス回顧録――ホワイトハウス 激動の2920日』、●仏教の歴史――の3つです。

●『種の起源』
「ダーウィンはこの本の中で、生物に変異が生まれるのは、偶然によって起きた変異がたまたま優位に働くことがあるからだと繰り返し書いています。生物にとって優位に働いた変異はそのまま残って、そうでない変異は排除されます。それが『自然淘汰』です。常に変化している世界では、賢いものや、強いもの、大きいものが生き残るとは限らないのです。『こうしたら競争相手のほかの生物より優位になれるだろう』という戦略は役に立たない。それより大切なのは、運と適応ですよ、と。人間も生物ですから同じことが言えます。変化に適応できるものだけが生き残ることは歴史を見ても明白です」。私も、人生は運が9割、努力が1割と考えています。この「努力」は「変化に適応するための努力」と言い換えることができるでしょう。

●『ライス回顧録』
「(本書を)読んでみて、ライスさんに対する評価が一変しました。これを読むまでは、ライスさんのことが嫌いだったのです。あれだけ賢いライスさんがついていながら、ブッシュ大統領のこのざまはなんや、と思っていましたから。この本で彼女は自分のやったことに一切弁明していません。自分はこう判断して、こう行動した。その是非は後世の人が判断すればいいということです。当時のラムズフェルド国防長官のイラク戦争後の対応についても、彼を信じた私がいかに馬鹿だったか、とはっきり書いています。これが知性というものです」。敬愛する出口がここまで言っている本を読まずに済ますわけにはいきませんね。

●仏教の歴史
「(初期の)仏教は2つに分かれていました。上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいじゅぶ)です。上座部は、上座に座る長老たち、大衆部は若い人たちで構成されていました。・・・出稼ぎのために地方から(仏教の地盤である)都市に来た人たちは、ヒンドゥー教の信者です。数でいうとブルジャワジーより庶民のほうが多いので仏教は劣勢になります、当時、(大衆部との論争に勝利した)上座部を中心とした仏教の中でも危機感を覚える人たちが出てきました。このままではヒンドゥー教に信者を持っていかれてしまう。どうしよう? そこで始めたのが、経典の創作です。経典は、ブッダが言ったことを書き留めたことになっていますが、その頃にはブッダの死後、だいたい4、500年経っており、何を言っていたかはっきりしない。そういう状況で経典をたくさんつくったのが、いま日本でよく知られている大乗仏教です」。競合するヒンドゥー教対策として誕生したのが大乗仏教だったとは、本書で初めて知りました。

「華厳系は、毘盧遮那仏という宇宙を支配する仏が、菩薩を従えてみんなを救ってくれるのだという経典を書いたグループ。法華系は、理想国家をつくってみんなが幸せに暮らせるようにしようと、南無妙法蓮華経という経典を書いた。浄土系は、南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも救われるとしました。こうしてそれぞれが好き勝手に経典を書き始めたのです。この人たちは、上座部仏教は人数の少ないブルジョワジーを救うものだから、小さい乗り物、小乗と揶揄し、自分たちは大衆を救うのだから大乗仏教と名乗ります。正統派を自認する上座部の人たちは、ブッダはそんなことを言っていないのだから大乗仏教は仏教ではない、大乗非仏教だといって非難して大論争になりました。それでどちらが人気を獲得したかというと、大乗仏教でした。やっぱりシンプルなほうが強いのです。南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏と唱えれば救われる、というのはわかりやすいでしょう。・・・大乗仏教は仏様もたくさんつくりました」。私自身は大乗仏教は仏教にあらずと考えています。

「中国の仏教が大衆化していく過程で、庶民向けの浄土教と、インテリ向けの禅が流行った。そしてこれが鎌倉時代、日本に入ってくるのです」。

武士の起源についても、興味深いことが書かれています。「武士についても田舎の豪族が武士になったのではなく、京都で生まれたという説が有力になっています。京都の王家や貴族たちの用心棒として誕生したというのです」。