読書の機微について考えさせられる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2970)】
昆虫観察会に参加しました。ウラナミアカシジミ(写真1)、アカシジミ(写真2)、ムラサキシジミ(写真3)、アカボシゴマダラの幼虫(写真4)、ガのビロードハマキ(写真5)、アカスジカメムシ(写真6)、ヨコヅナツチカメムシ(写真7、8)、エサキモンキツノカメムシ(写真9)、ヨツスジハナカミキリ(写真10)、キマダラミヤマカミキリ(写真11)、アカガネサルハムシ(写真12の中央)、アカクビナガハムシ(写真13)、オオクシヒゲコメツキ(写真14)、オオヒラタシデムシの幼虫(写真15)を観察することができました。なお、ウラナミアカシジミ、アカシジミなどの貴重種は、撮影後、放たれました。因みに、本日の歩数は11,402でした。
閑話休題、『読書の裏側――千夜千冊エディション』(松岡正剛著、角川ソフィア文庫)で、とりわけ、読書の機微について考えさせられたのは、●『本から引き出された本――引用で綴る、読書と人生の交錯』(マイケル・ディルダ著、高橋知子訳)「本好きになるための十二茶の法則。モードの森を探索するための含蓄の武装」、●『真珠夫人』(菊池寛著)「作家で企業家で文化プロデューサー。菊池寛の文藝春秋が日本に見せていった企図とは何か」、●『書店の棚 本の気配』(佐野衛著)「再販制と委託制が書店を縛ってきた。それなら読者の嗜好に対応する本棚をつくりゃいい」――の3節です。
●『本から引き出された本――引用で綴る、読書と人生の交錯』
「交際には相手のチャームポイントを存分に感じる必要がある。これは恋でも友人関係でもビジネスでもコミュニティでも、本でも同じだ。たとえば、タイトルの魅力、コンテンツ(中身)の使い勝手、著者のプロフィール、装幀のよしあし、文字組や見出しの調子、紙のめくりやすさ、その本に出会った時期、出版社の勇気、一冊の屹立性、その日の当方のコンディション、編集のうまさ、図版に対する驚き、評判、どこで読むかということ、文体、知の空腹感、書架に並ぶさま、超難解度、類書の多さ・・・。こういったチャームポイントをいろいろ感じられるようにしたい。ただし読書の交際はたった一人の夫や妻を選ぶのではなく、何人何冊もの相手との複合交際なのである。たいへんラッキーなことに、本に対してはいくら浮気をしたって不倫をしたってかまわない。これを聞いて急に意欲が湧くかもしれないが、実際にも本とは多く付き合えば付き合うほど、相手の魅力が見えてくる。・・・本を読みだしさえすれば、うっとうしい日々、退屈な夫、くだらない上司、自慢たらたらの友人、ありきたりな部屋、似合わない洋服、貧しい言葉づかいといった、あまりうまくいかない自分の不遇など、まったく嘆く必要がない。ツイッターなど打っているのがもったいない。・・・現代詩人のフィリップ・レヴィンがデトロイトの仕立て屋のアイロン職人を何度も見つめていたように、ココ・シャネルのお友達だった天才コレットが本を書いたり読んだりするために衣服を着ることに修練を課したように、井上ひさしが行き先の地図をいつもドローイングして、戯曲や小説の舞台の地図づくりに役立てていたように、本と昵懇になるには、自分の好奇心を何かに掻き立てておいて、その含蓄するところのものがもつモダリティをいかしたまま、さあ、一気に『本の裏側』に侵入することである。できれば、ちょっと変装して」。松岡正剛が、こんなにユーモア溢れる文章の書き手だったとは!
●『真珠夫人』
「編集を仕事とする者にとって、菊池寛はでかい。面妖でもある。どのくらいでかいかというと、作家や戯曲家として、『文芸春秋』の創刊者や文藝春秋社の起業家として、新聞小説の変革や芥川賞・直木賞の創設などを通して、文芸的なるものを『経国の大事』としたことが大きい。・・・菊池寛は(『忠直卿行状記』の)忠直を歴史物語ふうに描かなかった。近代心理をもって描いた。上に立った者の傀儡性と、自身が自身に問うべき価値の喪失が描かれている。世の中における『掛け値』というものがもたらす『幻想の崩壊』が巧みに炙り出されていた。なるほど、うまい描き方があったものだ。当時、しばしば菊池に比較された芥川龍之介は、『僕なぞは芸術にかくれるという方だが、菊池は芸術に顕われる』と言った。芥川はまた『菊池には信念が合理になっているところがあって、それが人間に多量の人間味をふくませている』のだと見抜いた。『忠直卿行状記』は合理と心理を描いたわけである。松本清張に『形影』がある。『菊池寛と佐佐木茂索』というサブタイトルがついている。そのなかで清張は、菊池の文学はゾラや花袋らの自然主義小説がとりあげていた『自我』を極限化して、うんとリアルにしたと指摘した。だいたい当たっているのではないかと思う。ぼくにはそれが『入れ札』ではさらに研ぎ澄まされ、そのためかなり明快になっていると感じられた」。『形影』を読まなくては!
●『書店の棚 本の気配』
「『本を読む』という行為は、なかなか見えない。読めばどうなるかというと、アタマに入ったり心に訴えたりしてくる。あるいは小説がそうだからわかるだろうが、なんだかしくしくしたり考えさせられたり、勇気が湧いてきたりする。本はそもそもが『思索商品』であり、また『感情商品』なのである。・・・佐野さんは、こう書いている。『興味ありそうな本を一冊、手にとってみる。そして少し読み始める。自分のなかにある意識のコンテクスト(文脈)がおのずと立ち上がってくる。この能動的な動機が内発されないと、本を読んでもおもしろくもないし、よくわからない。本を探すということは、自分の内部のコンテクストを外部から触発されるということであり、そのコンテクストを構成していくことである』。・・・ようするに本の棚とどう向き合えるか、その本の並びとどう付き合えるか、それが『本読み』のスタートであって、書店からすればその空間と時間をどう用意するかがお仕事なのだということなのである」。書店内を散策する愉しみは何物にも代えられない!
松岡の書評に刺激されて読みたくなった本が2冊――。
●『百年の誤読』(岡野宏文・豊﨑由美著)「ベストセラー本の実相を、二人の『読みのプロ』が毒舌で切りまくる」。
●『本の本』(斎藤美奈子著)「姐さんの書評のお手並みには感服しています。何も着服しないで、頓服を処方するだなんて、絶妙です」。