榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

人を愛するとは、どういうことなのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3008)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年7月13日号】 情熱的読書人間ないしょ話(3008)

千葉・松戸の「21世紀の森と広場」のガマ原に潜むアカガシラサギ(写真1~6)は、ガマの葉に阻まれ、なかなか全体像を写すことができません。2時間粘った甲斐があり、漸く全身を撮影することができました。カワセミ(写真7)、ウチワヤンマ(写真8、9)をカメラに収めました。今季初めて、ミンミンゼミの鳴き声を耳にしました。我が家の庭師(女房)から、キキョウ(写真11)が咲いたわよ、と報告あり。因みに、本日の歩数は11,547でした。

閑話休題、『あの胸が岬のように遠かった――河野裕子との青春』(永田和宏著、新潮社)で、歌人・細胞生物学者の永田和宏が、10年前に乳がんで亡くなった妻、歌人の河野裕子との青春を振り返っています。

「河野裕子が亡くなったあと、河野の実家に行って遺品の整理などをしていたら、押し入れから手紙のぎっしり詰まった箱が出てきて、驚いた。私から河野に宛てたもの、河野から私に来たもの、あわせて三百通は優に超えているだろう。・・・手紙は、出会った最初の頃のものから、結婚するまでの五年分である。・・・この手紙とともに、河野の日記帳が十数冊一緒に見つかったのは、さらに驚きであった。・・・河野が亡くなり、一人の生活にもようやく慣れ始めたころになって、私のなかでひとつの思いが徐々に形を成し始めているのにも気づいていた。それは、果たして私は河野裕子にふさわしかったのだろうかという疑問である」。

「それは私には、圧倒的な体験であった。・・・日記には、私と出会う以前に作品を通してその存在を知り、たった一度の出会いによって、運命のように思いを寄せることになった一人の青年への思い、それが綿々と綴られていた。やがて、その青年への思慕の真っただ中で出会うことになってしまった私への思い、自らの意志から引きはがされるような私への傾斜、その葛藤と懊悩、それらが繰り返し、リアルに綴られていた。あまりにも深く悩み、往々にして、私と会っている最中に倒れてしまうまで思い詰めていた河野の苦しみがどのようなものであったか、当事者のひとりが自分であることを忘れて、まるで小説かドラマのように引き込まれてしまったものだ。それが私にもっとも身近な人であったこと、しかもその一途に思い詰めている対象の一人が私自身であったということに、粛然とした思いをさえ抱いたのであった」。

「彼女の二十歳の、ほぼ最後の日に、二十歳になったばかりの私が出会ったことになる」。

<陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり――裕子>。

<たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫つて行つては呉れぬか――裕子>。

「そのすずかけの木のしたで、はじめてのくちづけをした。・・・私にも彼女にも生まれてはじめてのキスであった」。

<あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年――和宏>。

<ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり――裕子>。

<今日 私はあのひとと結ばれた 若葉の枝をさし交わす雑木の下の枯葉の上。なんにも言うことはない。あと十日もすれば、あのひとも二十三になる――裕子の日記>。

<死にそこねし夏ありしことも恥ならず踏めば落梅の核みな白し――裕子>。

「私の(自殺)未遂は遂に河野の生前に伝えることはなく、河野もまた私に(彼女の自殺未遂について)何も伝えないままに、その夏を二人別々に過ごしていたことになる」。

<逆光に耳ばかりふたつ燃えてゐる寡黙のひとりをひそかに憎む――裕子>。

<永田和宏とは人生というものをお互いに作り合ってきました。私みたいな死に損ないと一緒に暮らすのはたいへん難しいと思うんですけど、我慢強くつきあってくれました。伴侶としてはよかったし、私の歌の第一読者なんです、ケンカしたとき以外は。・・・私たちほどよく話をする夫婦は無いんじゃないかな。永田がトイレに行ったらドアの前まで行って話している。いつも、しょっちゅう何か喋っているし、ちっとも飽きない。こんなに喋っていて片一方が死んでしまったらどうしようって、ほんとに心配。・・・私がしなければならないことは永田和宏という人を一日でも長生きさせること。私の仕事は全部放って置いても、永田が帰って来たとき、お皿をあたためて少しでもおいしくと思って待っているんです。・・・結局、子供よりも永田和宏を大事にしてやってきたというのが本当ですね――インタヴューに対する裕子の答え>。

「ある意味、とてもひと様に語れるようなものではない不様で惨めな私の青春を、そして熱く、性急でお互いに相手に誠実であろうとしたゆえに互いに傷つけあってきた二人の時間を、ここまであからさまに書いたことに、正直、自分自身が驚いている」。

人を愛するとは、どういうことなのか、改めて考えさせられました。