原稿用紙2000枚級の大河小説を書き続けた女―― 老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その3)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(90)】
●『紫式部』(清水好子著、岩波新書)
●『散華――紫式部の生涯』(杉本苑子著、中公文庫、上・下)
●『紫式部の恋――「源氏物難」誕生の謎を解く』(近藤富枝著、河出文庫)
●『紫式部』(沢田正子著、清水書院)
●『紫式部伝――源氏物語はいつ、いかにして書かれたか』(斎藤正昭著、笠間書院)
●『紫式部伝――その生涯と「源氏物語」』(角田文衛著、法蔵館)
●『謹訳 源氏物語』(紫式部著、林望訳、祥伝社文庫、全10巻)
●『紫式部の欲望』(酒井順子著、集英社文庫)
●『「うそ」で読み解く源氏物語』(田中宗孝著、幻冬舎ルネッサンス新書)
【紫式部の生涯】
紫式部(973~1031?)が、400字詰め原稿用紙にしたら2000枚以上に及ぶ膨大な大河小説『源氏物語』を書き続けたのは、なぜか。この謎を突き止めたくて、若い時から今日に至るまで、紫式部の真実を追い求めてきた。
紫式部の生涯については、さまざまな説があるが、最も説得力のある角田文衛の『紫式部伝――その生涯と「源氏物語」』によれば、973年に誕生、999年に20歳年上の又従兄妹(またいとこ)・藤原宣孝と結婚、1000年に賢子を出産、1001年の宣孝死去により寡居生活に入り、1005年から中宮・彰子に仕え、宮仕えを退いた後、1031年に死去。
【『源氏物語』の成立時期】
短篇を書き継いでいった『源氏物語』の成立時期についても諸説があるが、宣孝を失った後、執筆に没頭し、1005年頃までに草稿本はほとんど完成し、紫式部の作家、歌人としての文名は狭い貴族社会では知れ渡っていたと思われる。彼女の才能を高く評価した時の最高権力者・藤原道長が、自分の娘・彰子の女房(高級侍女)に迎えて後宮に光彩を加えるとともに、彰子の家庭教師役を期待したことからも明らかである。宮仕えを中断しての長い里下がり中に補筆を加え、1009年には全篇が完成したようだ。
【書き続けた理由】
それでは、紫式部が『源氏物語』を書き続けた理由は何か。
清水好子は、「この冒険的な主題――最高の権力と対置する不倫の恋――を象徴的に表現するための新しい技法が開拓されている」と、作家としての執念に言及している。
杉本苑子は、「3年に満たぬ結婚生活や華やかな宮仕えでもいやされぬ心の苦しみを通し、血なまぐさい権力抗争の現実と人々の浮き沈みとを見すえつつ、ひとりの女として」書き綴ったと述べている。
近藤富枝は、紫式部には秘められた恋人が存在し、その憧れの君・具平親王への恋を諦めて受領(宣孝)の妻に落ち着いたという説を展開している。「その辛く悲しい抑制の思いが物語の世界で爆発する。したがってこの物語の女人たちは誰も恋で幸せにはなれない」というのだ。
沢田正子は、「所詮、愛も恋も普遍、恒常的なものではありえない。むなしさも悲しみも苦しさも不即不離のものであるが、逆にその摂理を悟り、それぞれの宿世、宿命を受け入れる寛容、順応の精神に従い、わが魂、わが心を束縛されることなく自在に生きることができたら、それもまた生の至福と言えるであろう。現世のむなしさやはかなさを見透かしてすべてに対して愛と許しの道を求め、自らの心に素直に生きることを願い努力してゆくしかない、今、そんな紫式部のつぶやきが聞こえてくるようではないか」としている。
斎藤正昭は、「自分とは何か、何をなすべきかを問ううちに、やがて彼女は自らの原点を見つめ直すに至る。自らの原点――それは、20代前半まで彼女をとりこにした読書、とりわけ物語の世界であったろう」と推測している。
酒井順子は、「(光)源氏を(女性たちから)『とり残される男』にすること。それは、作者・紫式部の、源氏に対する最大の復讐なのだと思います。源氏のような男に苦しめられる女性達をたくさん見てきた彼女は、自身もまた苦しんだ経験を持つのであり、その気持ちを、物語の中で晴らしたような気がします」と語っている。
田中宗孝は、「紫式部は、宗教界を含む貴族社会の腐敗と堕落を告発するとともに、その中にあって人はいかに生きるべきかを究めるために、孤軍奮闘したのである。当時の状況をつぶさに書き遺すことによって、いつの時代にもありうる腐敗や堕落に対する警鐘としての役割を果たし続けるはずである」と主張している。
私自身は、「蛍」の巻で、光源氏が物語の意義について述べる、「・・・物語などのほうにこそ、単に事実を述べるということから一歩進んで、人間の機微にまで細やかに書き至るということがあるだろうな」、「思えば、物語というものは、だれそれの人の身の上について、ありのまままっすぐに書くということはないかもしれないが、善いことでも悪いことでも、この世に生きている人のありさまを見聞するにつけて、つくづく心を動かされたり、またなんとかしてこの思いを後の世の人にも伝えたいと思ったり、・・・そんなあれこれの事どもを、胸のうち一つには収めておくことができずに、つい言い置くことになる、・・・とそんなふうにして物語というものは始まったのであろう」という箇所に、紫式部の本音が表れていると考えている。
『源氏物語』の原文に挑戦するのに二の足を踏む人々のために、それこそ数多くの現代語訳が提供されてきたが、「紫式部は光源氏を称えながら、厳しく見ている」と指摘する林望の『謹訳 源氏物語』を薦めたい。注などに煩わされることなく、すらすらとスピード感を持って読み進めることができるからだ。