自分なりの好奇心を持って、心躍らせながら生きていこう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3196)
我が家の庭の餌台「空中楽園」にはメジロ(写真1~5)が、「カラの斜塔」にはシジュウカラ(写真6~8)、スズメ(写真9、10)たちが、入れ替わり立ち替わりやって来ます。
閑話休題、『エッセイストのように生きる』(松浦弥太郎著、光文社)は、エッセイストとして生きている著者の、エッセイストのように生きようという、あなたへの呼びかけです。
「『エッセイストという生き方』とは、なにかになるための生き方ではなく、自分はどんな人間になりたいのかを考える生き方です。日々の暮らしと自分自身をまっすぐに見つめて、よろこびや気づきという心の小さな動きを感じ、それを明確にできる生き方です」。
「ありのままの日々の中からささやかな気づきや感動という宝物をさがし、それをよろこび、それを分かち合い、それを育むことで、自分自身の解像度を明確にし、他人への解像度も高めていく。そういう生き方、そういう人生を、僕はみなさんと学んでいきたい」。
「『エッセイを書く』という行為を通じて自分自身を知り、心の中に自分の居場所を守りつづけてきたからにほかなりません。エッセイを書くことに、(私は)救われてきたのです」。
「宗教の目的は己を救うことですが、エッセイを書くことは精神活動に近いのかもしれません。あるいは『小さな哲学』と言ってもいいでしょう。自分なりの真理を求めて粘り強く考え、内側を掘り、静かに『秘密』をさがすことで、自分を救うことができるのですから」。
「ものごとには、かならず隠されている本質がある――。これは僕の持論で、『秘密』のひとつです。なにが隠されているかさぐるのは、もっとも心躍る時間。きらりと光る本質を見つけたいと、いつも思っています。そんな『隠されている本質』を発見するためには、『見つめる』時間が欠かせません。『いったいどんなものが隠されているんだろう』という意識を持って『見つめる』のと、ただ『見る』のとでは、視線の解像度がまったく変わってきます。エッセイストの生き方は、身体の目と心の目を使う生き方なのです」。
「好奇心があれば、本質を知りたいという気持ちはおのずと湧いてきます。そして、湧きつづけていきます。一瞬だけ興味を持ってすぐに飽きてしまうのではなく、問いを持ちつづけることができる。これは人間関係にも言えることです。そんな『ほんとうの好奇心』がなにに反応するかを、見逃さないようにしてください」。
「自分の中に好奇心があることは、どれだけ財産を持っていることよりもはるかに人生を豊かにしてくれます。考えたいことや気になることがたくさんあって、毎日あたたかい気持ちで『これはどういうことだろう?』と心躍りながら生きていける。エッセイストとは、好奇心と共にある生き方と言えるかもしれません。好奇心由来のおだやかなわくわくが、自分を整えていく」。
「書くことを――つまり『考える』ことを、自分のあたりまえにする。これこそエッセイストとしての生き方です。日常にある感動を見つめて言語化することを、ライフスタイルにする。書くことを特別なことにしない。大作を書こうとか、オチをつくらないととか、欲を出してはいけません。そこは読み手を感動させるポイントではないのです。あなただけの『視点』、そして『秘密』に集中してください。エッセイストとして」。
著者の勧めどおりエッセイストになるにしろ、エッセイストにならなくてもエッセイスト的な生き方をするにしろ、あるいは、エッセイとは無縁の人生を選択しようと、本書は生きる上で重要なヒントをあなたに与えてくれることでしょう。