坂本龍馬暗殺の黒幕説は、本書にて一件落着――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その13)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(100)】
●『龍馬暗殺』(桐野作人著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)
坂本龍馬暗殺について、私はこれまで『竜馬伝説を追え』(中村彰彦著、学陽書房・人物文庫)が主張する「京都見廻組実行・薩摩黒幕説」を支持してきたが、今回、『龍馬暗殺』(桐野作人著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)を読んで、「京都見廻組実行・会桑(京都守護職と京都所司代)勢力命令説」に宗旨替えすることに決めました。本書で、薩摩黒幕説は完膚なきまで粉砕されています。
本書が画期的なのは、龍馬暗殺時点の政治情勢の把握に新しい枠組みを持ち込んだ点にあります。
その枠組みは、このように説明されています。「慶応3年後半の京都政局における対立軸は、大政奉還を媒介に幕府を廃止し、王政復古政府を樹立することでは一致する薩摩・土佐両藩をはじめ、芸州・越前・尾張などの諸藩(廃幕派)と、あくまで幕藩体制を維持し、それを崩壊させるような大政奉還を骨抜きにしようとして、その推進勢力である薩土芸の3藩に打撃を加えようとする会津・桑名両藩(会桑勢力)や幕府内強硬派(保幕派)による対立・抗争として再構成することだと考えている。すなわち、『大政奉還』派VS『武力倒幕』派に代えて、廃幕派VS保幕派という対立軸を設定することが当該時期の政治史を理解する枠組みとしては有効だと思える。薩摩藩と土佐藩は将軍(徳川)慶喜への評価や、武力行使を重視するか否かでは意見を異にするが、幕府制度を廃止し、『公議』による天皇を中心とした新たな政体を樹立するという目的では一致していて妥協可能であり、実際妥協していたことは明らかである」。
「他方、この対立軸の設定によって、これまであまり語られなかった会桑勢力の動向を明らかにする意味は大きい。同勢力が廃幕派の薩土芸3藩を主敵と定めて藩邸襲撃や要人テロまで企てるなどクーデタを計画していたことはほとんど知られていなかったからである。一時は武力挙兵を企て薩長と協調していた坂本がこの廃幕派と保幕派の対立・抗争の渦中に投げ込まれており、保幕派の格好のターゲットにされていたこともまた明らかになる。近江屋事件の真相はこの対立軸に即して考える必要がある」。会桑勢力もかなり切羽詰まった状態にあったのです。
「会津藩の臨戦態勢はすぐさま具体的に現れた。同藩が標的にしたのは、薩摩藩の小松帯刀・西郷吉之助(隆盛)・大久保一蔵(利通)の3人だった。慶喜の(大政奉還の)上奏が勅許された翌(10月)16日、それを察知した岩倉具視が大久保に(テロリズム計画があるとの)警告の書簡を送っている」。
「小松を中心とする薩土両藩の『廃幕派』に対する『保幕派』の反撃はクーデタへの衝動を秘めていたが、小松・西郷・大久保3人の帰国によって、いったん肩すかしを食ってしまった。彼らは振り上げた拳の落としどころを一時失った。しかし、なお次なる標的が近くにいたのである。それは藩邸ではなく町屋に潜伏してもっとも無防備な坂本だった。しかも、坂本には寺田屋事件の『前科』があった。これらの理由から、『保幕派』が反薩土の冒険的なテロリズムに飛躍するハードルが格段に低くなったといえよう。・・・会桑勢力はそれを好機とみて、近江屋襲撃を企てたと思われる。だから、坂本は小松以下3人の身代わりとして、『保幕派』の鬱憤を晴らす手っ取り早い標的にされたのである」。岩倉の書簡により、龍馬が襲われる危険を懸念した薩摩藩士の吉井幸輔が急ぎ17日、忠告のため龍馬を訪ねるが、生憎、龍馬は不在だったのです。「吉井が坂本とじかに会って忠告したら、事態の深刻さが坂本にもっと伝わり、坂本もすぐさま何らかの対応策を講じたかもしれない。坂本が不在で言伝てになったことが、あるいは坂本の運命にも影響を与えたとはいえないだろうか」。
「(11月15日の)龍馬暗殺は現存史料からみて、佐々木只三郎が率いる京都見廻組の仕業である。これは動かしようがない。なお、直接の殺害実行者が今井信郎であるか、渡辺篤であるか、あるいは別の人物であるかは不明だが、さして重要な問題ではない。次に、坂本の居所はだれに、どのようにして突きとめられたのか。坂本が近江屋に潜伏しており、事件当日も在宅しているのを探索し、会桑勢力もしくは見廻組に報じたのは、陸援隊に潜入した新選組の密偵である村山謙吉、あるいは長州岩国家浪人大島某や、『諜吏増次郎』などが浮上するが、詳細は不明である」。
「それでは、佐々木たちに龍馬暗殺を命じたのはだれだろうか。当時の『廃幕派』と『保幕派』の一触即発の対立状況からみて、旧幕府勢力、なかでも京都の治安維持を任務として京都守護職と京都所司代をつとめる会桑勢力である蓋然性が非常に高い。・・・さらに佐々木の実兄は在京会津藩の藩外交を担う公用方の有力者である手代木直右衛門だった。この太い人脈は龍馬暗殺の深層を考えるうえで重大な事実である。・・・また、手代木が最晩年に龍馬暗殺の密命を下したのは『所司代桑名侯』だと証言しているのも無視できない。さらにいえば、伏見寺田屋で坂本を取り逃がしたのは直接には伏見奉行所の失態だが、その上司にあたる京都所司代にも汚名返上すべしという気運も充満していたと思われる」。
龍馬暗殺の謎解きは、本書にて一件落着ということになるでしょう。