榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ゴッホに関する通説を大胆に覆した驚異の論証・・・【続・リーダーのための読書論(15)】

【ほぼ日刊メディカルビジネス情報源 2012年5月21日号】 続・リーダーのための読書論(15)

ゴッホ・ファン必読の書

世にフィンセント・ファン・ゴッホのファンは多いが、ゴッホと、その作品に関心を抱いている人間にとって、見逃すことのできない著作、『ゴッホ 契約の兄弟――フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(新関公子著、ブリュッケ)はそういう本である。

通説への反論

何が、そんなに驚異なのか。兄・フィンセント(ゴッホ)と弟・テオの間で長期に亘り頻繁に交わされた往復書簡を丁寧に読み解くことで、これまで長らく信じられてきた通説が次から次へと、説得力のある論証によって覆されていく。

第1は、「ゴッホは兄思いの弟・テオから一方的に経済的援助を受けて、絵画制作に没頭した」という通説。著者は、「共に絵画におけるゴッホの天分を信じていたゴッホと弟の間で、画家と専属画商としての契約――ゴッホは描き上げるたびに全作品をテオに送り、テオはそれらを長期間、手元に置いておき、一番効果的な時期に一挙に売り出すという契約――が成り立っており、ゴッホはテオからの経済援助をその当然の報酬と認識していた」というのだ。これには、兄の画家としての成長に人生を懸けたテオが、若いながら有能な画商としてかなり高額の収入を得ていたことが与っていたのである。この兄弟の戦略が功を奏し、今日、ゴッホの作品は世界中で愛され、高い評価を得ているのである。

第2は、「ゴッホは狂気の画家であった。精神病(統合失調症)を発病していた」という通説。これに対し、「ゴッホの正しい病名は癲癇であり、現在は脳疾患と判明しているが、当時の医学レヴェルでは精神病と見做されていた」というのが、著者の見解である。癲癇は大脳ニューロンの過剰な放電に由来する反復性の発作を主徴とする疾患であるが、ゴッホ自身が、「自分の脳内に激しく電流が流れ、放電現象が起きたような感覚を持った」と述べているのが興味深い。

第3は、「ゴッホは、生前は、生涯に絵が一枚しか売れなかった無名画家であった」という通説。「画家仲間や少数の具眼の士たちの間では、ゴッホの作品の強烈な個性と様式――主題、構成、色彩、筆触(タッチ)――は注目の的であった」と、著者は通説を正している。一時、共同生活を送り、刺激を与えながら絵画制作を競い合ったポール・ゴーガンがゴッホは天才であると認めている。兄弟間の契約によって、ゴッホ作品が生前は一切、売りに出されなかったことが、この通説を生み出したのだろう。

エピソードの真相

この書の中で、ゴーガンと暮らしていた時、ゴッホが自分の右耳たぶを切り落とした事件の真相が明快に説明されている。そして、ゴッホがなぜ、37歳で自殺したのかが見事に解明されている。ゴッホ自殺の6カ月後にテオが33歳の若さで病死するが、その疾病は、当時、進行麻痺(麻痺性痴呆)と呼ばれていた、梅毒の第4期(最終段階)であると断言されている。ゴッホ兄弟の死後、ゴッホ作品の素晴らしさを広く知らしめた功労者であるテオの妻・ヨハンナ(ヨー)が、ゴッホの天才を完全に開花させ、世にその真価を問おうという夫の思いを理解し、彼女もその支援戦線に自ら望んで加わった経緯が事実に即して語られている。さらに、ゴッホが歌川広重等の、大好きな日本の浮世絵から、いかに多くのことを学んだかにも、筆が及んでいる。