榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

なぜ、図書館には人がいないほうがいいのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3444)】

【読書の森 2024年9月17日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3444)

今宵は中秋の名月(満月は明日)。

閑話休題、『図書館には人がいないほうがいい』(内田樹著、朴東燮編訳、アルテスパブリッシング)は、「世界でただ一人の内田樹研究者」を自任する朴東燮が韓国で出版し、それを日本語に訳したという、ちょっぴりややこしい本です。

本書のテーマは、図書館と書物です。

内田樹の多くの言葉が、図書館好き・書物好きの私の胸に沁みました。

●図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所。

●図書館は巨大なアーカイブの入り口である。

●図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、アーカイブされた場所にはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触れることができる。

●本が僕に向かって合図を送ってくるということがある。でも、それはしんと静まった図書館で、書架の間を遊弋しているときに限られます。というのは、そういうとき、僕は自分がどれくらい物を知らないのかという事実に圧倒されているからです。

●図書館はそこを訪れた人たちの無知を可視化する装置である。自分がどれほどものを知らないのかを教えてくれる場所である。だから、そこでは粛然と襟を正して、「寸暇を惜しんで学ばなければ」という決意を新たにする。図書館の教育的意義はそれに尽くされるだろう。

●図書館は新しい世界への扉である。

●書物っていうのは「異界に通じる門」ですから、専門家(司書)が守らなければいけないわけです。

●図書館には魔法使い(司書)の居場所を確保しなければならない。

●私たちは物語を読んでいるときに、つねに「物語を読み終えた未来の私」という仮想的な消失点を想定している。読書とは「読みつつある私」と、物語を最後まで読み終え、すべての人物のすべての言動の、すべての謎めいた伏線の「ほんとうの意味」を理解した「読み終えた私」との共同作業なのである。最後の一頁の最後の一行を読み終えた瞬間に、ちょうど山の両側からトンネルを掘り進んだ工夫たちが暗黒の一点で出会って、そこに一気に新鮮な空気が流れ込むように、「読みつつある私」は「読み終えた私」と出会う。読書というのは、そのような力動的なプロセスなのである。

高校1年生の内田が引き寄せられるように手に取った本『アウトサイダー』(コリン・ウィルソン著、福田恆存訳)を、早速、私の「読みたい本」リストに加えました。そして、内田が25年近く人生の師と仰いでいるというエマニュエル・レヴィナスの難解極まる哲学書とされる『困難な自由――ユダヤ教についての試論』にも挑戦せねばと考えています。

さすが、内田樹師匠に惚れ込んでいる人物の編訳だけに、読み応えのある一冊です。