榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

大好きなバルザックの「人間喜劇」の総序を読んで、ちょっぴりがっかり・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3455)】

【読書の森 2024年9月24日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3455)

早朝、2階のヴェランダで洗濯物を干していた女房が駆け下りてきて、見慣れないハゴロモがキンモクセイにいるわよ、と。何と、近年見つかった外来種のヘリチャハゴロモ(写真1)ではありませんか。庭の片隅では、ホトトギス(写真2)が咲いています。我が家に、初めて、津田梅子がやって来ました(写真4)。

閑話休題、私はオノレ・ド・バルザックが大好きで、『ゴリオ爺さん』、『幻滅』、『娼婦盛衰記』、『ウジェニー・グランデ』、『谷間の百合』、『暗黒事件』などを読み漁ってきました。

これらの作品を含む膨大な作品群に、バルザックは「人間喜劇」という総称をつけています。その「人間喜劇」の総序には、どういうことが書かれているのか気になって、『「人間喜劇」総序・金色の眼の娘』(オノレ・ド・バルザック著、西川祐子訳、岩波文庫)を手にしました。

収録されている『「人間喜劇」総序』を読んで、いろいろなことが分かりました。

●人間は善でも悪でもない、人はいくつかの本能と適性をもって生まれる。「社会」は、ルソーの主張するように人間を堕落させるのではなく、完成し、より良きものにする。しかしその一方で金銭欲がしばしば人間の悪への傾向を大きくする。キリスト教、とりわけカトリシスムこそが、私が『田舎医者』のなかで述べたように、人間の堕落への傾向を抑止する完全な体系であり、「社会秩序」をかたちづくる最も重要な要素である。

●「キリスト教」が現代の諸国民を育成したのであり、今後も護りつづけるであろう。そこから君主制の必要性も生じる。「カトリシスム」と「王政」は一対の原理である。・・・「宗教」と「君主制」は、現代のさまざまな事件から導き出された必然の結果であり、良識あるすべての作家は、わが国をそこへ立ち戻らせる努力をしなければならない。

●「社会」の全体を写し取り、「社会」をその巨大な動きのなかでとらえようとするとき、ある作品は、善よりも悪の様相を多く描くように見えるし、壁画のある部分は罪ある人びとの群れを描いているということが起きるし、むしろそうなる定めなのだ。

●小説という壮麗なる嘘にあっては、細部に真実がなければすべてが無に帰するのである。

●情熱なくしては、宗教、歴史、小説、美術は無益なものとなる。情熱を要素として、多くの事実を集め、それをあるがままに描いたものだから、私は感覚論者であり唯物論者だと誤解されることがある。

●ある時代の突出した人物たちを二千人も三千人も描くのは簡単な仕事ではなかったが、各世代は最終的にこれだけの数の典型を輩出するのであり、「人間喜劇」も同じ数の登場人物を擁することになるであろう。これだけの数の容姿・性格そして無数の生活を描くには、いくつかの額縁、あえて言わせていただくならいくつかの展示室が、どうしても必要となる。そこから、みなさんもよくご存じの「人間喜劇」の「私生活情景」「地方生活情景」「パリ生活情景」「政治生活情景」「軍隊生活情景」そして「田園生活情景」という区分が自ずと生まれたのであった。

私の一番好きな言葉である「情熱」が重要視されている件では、大きく頷いてしまいました。一方、「宗教」と「君主制」に対するバルザックの強い思い入れには、時代的制約があるにせよ、ちょっぴりがっかりさせられました。