急死した作家・佐藤亜有子に何が起こったのか――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その239)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(326)】
●『花々の墓標』(佐藤亜有子著、IFF出版部 ヘルスワーク協会)
薬物中毒死した佐藤亜有子(あゆこ)という作家が気になって、『ボディ・レンタル』(佐藤亜有子著、河出文庫)、『生贄』(佐藤亜有子著、河出文庫)、『首輪』(佐藤亜有子著、河出書房新社)を読んでみた。ところが、芥川賞候補作も含め、どうしてこの作家がこういう作品を書いたのかははっきりせず、もやもやとしたもどかしさを拭い去ることができなかった。
しかし、河出書房新社が出版したがらなかった『花々の墓標』(佐藤亜有子著、IFF出版部 ヘルスワーク協会)を読むに至って、佐藤亜有子の背負ってきた凄まじい過去が明らかになったのである。
著者自身と思われる「わたし」は、児童期に実父から受けた性的虐待の犠牲者だったのである。幼い頃から勉強・スポーツ万能で、東大文学部仏文科に現役合格するほどの才能に恵まれながら、内面に負った深い傷に生涯、悩まされ続けたのである。
著者は、東大法学部に在籍する4歳年上の先輩と初めての恋に落ちる。「わたしの初めての恋人が、実の父から性虐待を受けつづけてきたわたしの過去を果たして受け入れられるかどうかと思うと、やけに不安になる。わたしの病的傾向もそうだ。せっかくできた恋人にまで、わたしは沈黙を保たなければならないのかと考えると、窒息しそうで苦しかった。それに怖い。わたしがようやく心を開きはじめた彼にまで、異常な女と思われて、拒絶される不安でいっぱいで、もしそうなったら本当にわたしは哀しみのあまり、死んでしまいそうな気がした」。
著者が高校3年の時、知ることになるのだが、姉も父の犠牲者であった。「実家で姉が自分の体が腐っているのに気づかないほどの廃人状態になっていて、先の希望をまったく断たれているときに、どうしてわたしが、ひとことはいと言いさえすれば彼の妻になる自分の立場を祝福する気になれただろう」。
苦しさに耐え切れず、わざと自分の浮気を見せつけて彼と別れてしまう。「わたしは彼と別れる前から、すでに、自分の人生をただ荒れ果てた焦土のように見る目があったのかもしれない。もはや希望はなにもない。わたしは早く死んだほうが、よほどましな存在だ――傍から見ればただの変わった女のように映っただろうが、わたしはそんな鬱状態を引きずったまま、唯一のシェルターに思えた大学に二年留年した」。
彼と別れた後は、長期に亘り、自殺願望に苛まれながら、国内外を問わず数多くの男性たちと性交渉を繰り返す。こういう状況下で『ボディ・レンタル』を初めとする作品が書かれたのである。「なぜわたしは、強引に誘惑してくる男の前では、まさに人工のダッチワイフみたいに思考も感情も麻痺状態になるのだろう。そして性的感覚に、なぜ呑み込まれるばかりなのだろう。わたしは相手が誰であろうと、オルガスムを得ることができる。むしろ相手が誰であるかもわからなくなるほど自分を惑乱させたいがために、それに没入しようとする。わたしはそんな自分の惨めさに、とても耐えがたい気持ちでいた。だがそれでも、わたしは男を前にすれば、どうしようもなく娼婦みたいになってしまう。そんな自分を笑うと同時に、無意識にしろ故意にしろ、わたしを娼婦のように扱ってきた男たちを嘲笑うことで、やられっぱなしの女ではないと自分に証明したかったのだろう。自分の体をモノ扱いする女子大生の話を書いた背景には、そんな現実もあったし、主導権を握っているのはこちらのほうだと思いたかったわたしもいた。いろんな災禍に打ちのめされた無力なわたしも、まだまだ笑う力がある。文学的な手法や姿勢がどうというより、わたしはまず、自分にはまだ現実を生きる力があるということを、その執筆で再確認したかった」。
しかし、佐藤亜有子は、もうこの世にいない。苦しみからは解放されただろうが。