黒澤明愛溢れる吉村英夫教授の講義録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3564)】
またまた、ルリビタキの雌に出会うことができました。
閑話休題、『黒澤明を観る――吉村英夫講義録 民の論理とスーパーマン』(吉村英夫著、草の根出版会)は、著者が大学で学生たちに行った黒澤明論の講義録です。興味深い内容の連続なので、私も講義を受けている学生の一員のような気分になってしまいました。
全篇に黒澤愛が溢れています。著者は学生たちに、『椿三十郎』、『天国と地獄』、『赤ひげ』、『生きる』、『七人の侍』の順で見せています。これこそ黒澤映画に入門するためのベストの選択だというのです。
●黒澤は心の奥にある愛憎、とりわけ憎しみの感情を、不可解のままに描いているが、19世紀のロシア文学――ドストエフスキーやトルストイ――の影響を受けているといわれる。
●黒澤は、自分の対極にある先輩監督・小津安二郎を生涯に亘って尊崇の念をもって見続けることになる。
●『天国と地獄』(1963年)で、生きることは不可解な中を歩いていくようなものであるという人生の不可思議の雰囲気だけは提起したかったのだろう。問題提起というか、どうぞそれなりに考えてみてくださいという問いかけをして、敢えて答えは出していない。
●黒澤映画の傑作中の傑作は『生きる』(1952年)と『七人の侍』(1954年)だというのが、今の私の信念とでもいうものになっている。
●『生きる』は、「生きる」という人間にとって最も根源的でありながら抽象的でもあり、それがために難しいテーマを、映像という具体的なもので表現して、見事に成功させている映画だ。
●『生きる』に神の問題、信仰の問題が出てこないのは立派である。神の問題に一切触れずに描き切った黒澤の芸術的想像力というか、映画精神の強靭さに、私は驚嘆する。死を宣告され、余命何カ月かを知った平凡な人間が最後の日々をどう生きたかを、リアリズム手法で描き切った。そして観客に「生きる」とは何かをいっしょに考えようという問題提起をした。
●『生きる』がなければ『七人の侍』は生まれなかったろう。
●『七人の侍』はラストにメッセージが込められているが、難解ではなく単純ともいえる明確なものである。なのに言わんとする真意は深くて大きい。なるほどと思いながら考え込むことになる。メッセージを発した黒澤たち作り手の思いの強さが観客を直接に衝つ。3時間半近く見てきた映画を振り返って改めて感動が沸き起こる。これぞあるべき映画なのだとの思いが込み上げる。何度見ても感慨深い名シーン、名ラストである。
●勝ったのは百姓か、それとも侍か。戦い終わって野武士を退治した侍と農民の連合軍。だが7人のうち4人の犠牲者を出してしまった侍。農民たちも何人かの命を失ったが、農民たちは田植えの繁忙期に入る。一方、使命の終わった生き残りの侍3人は、もう用済みで村から去っていくだけである。敢えて解雇と言おう。
●生き残った侍・勘兵衛の「侍は風、百姓は土」という感慨。すなわち民こそ主人公という論理がストレートに込められた台詞である。田植えをして米を生産する農民が世の中の主人公であるべきで、生産とは無縁な侍は、風のように儚く消え去っていくものなのだ。草の根民衆史観とでもいうのだろう。この思想は「勝ったのは百姓達だ」という簡にして要を得た一言で言い尽くされている。
●ホンモノの再現、リアルな時代劇をつくるというのが『七人の侍』における黒澤の大きな目標であり、その実現は革命的であった。
著者・吉村英夫の講義は大変勉強になったが、正直に言うと、私の黒澤作品トップ4は、①『羅生門』(1950年)、②『天国と地獄』、③『生きる』、④『七人の侍』です。吉村に、これだから素人は困るなと言われそうですね。