『破戒』が被差別部落問題の存在を教えてくれた・・・【山椒読書論(116)】
まだ若かった頃、『破戒』(島崎藤村著、新潮文庫)を初めて読んだ時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。被差別部落問題の存在を知り、その痛切さを認識したのは、この時であった。
明治後期、部落出身の教師・瀬川丑松(うしまつ)は父から「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと、決してそれとは自白(うちあ)けるな、一旦の憤激(いかり)悲哀(かなしみ)にこの戒(いましめ)を忘れたら、その時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思え」と堅く戒められていた。それにも拘わらず、部落出身であることを隠さず、部落解放運動に邁進する尊敬する思想家・猪子蓮太郎が石で撲殺されたことに心を動かされ、遂に父の戒めを破ってしまう。その結果、差別感情に凝り固まった社会は丑松を学校から追放し、彼はテキサスでの新生活を目指して旅立つ。
「その日というその日こそは、あの先輩(蓮太郎)に(自分も部落出身であることを)言いたい言いたいと思って、一度となく二度となく自分で自分を励まして見たが、とうとう言わずに別れて了(しま)った。どんなに丑松は胸の中に戦う深い恐怖(おそれ)と苦痛(くるしみ)とを感じたろう」、「深く考えれば考えるほど、丑松の心は暗くなるばかりで有った。この社会から捨てられるということは、いかに言っても情ない。ああ放逐――何という一生の恥辱(はずかしさ)であろう。もしもそうなったら、どうしてこれから将来(さき)生計(くらし)が立つ。何を食って、何を飲もう。自分はまだ青年だ。望もある、願いもある、野心もある。ああ、ああ、捨てられたくない、非人あつかいにはされたくない。何時(いつ)までも世間の人と同じようにして生きたい――こう考えて、同族の受けた種々(さまざま)の悲しい恥、世にある不道理な習慣、劣等な人種のように卑(いやし)められた今日までの穢多(えた)の歴史を繰返した。丑松はまた見たり聞いたりした事実を数えて、あるいは追われたりあるいは自分で隠れたりした人々、父や、叔父や、先輩の心地(こころもち)を身に引比べ、終(しまい)には娼婦(あそびめ)として秘密に売買されるという多くの美しい穢多の娘の運命なぞを思いやった」――と、丑松の深い悩みが描かれている。
この作品(初版本は自費出版)に対して、丑松が部落出身であることを皆に告白する態度は卑屈過ぎる、テキサスへの逃避行という結末は安易過ぎるといった批判がなされてきたが、文学作品という形で一般の人々に部落問題の存在を広く知らしめたのは、32歳で執筆に取りかかった島崎藤村の差別への怒りと勇気のなせる業であった。