榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

年齢を重ねることを前向きに捉える中里恒子、自然大好き人間の野上彌生子・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3827)】

【読書の森 2025年9月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3827)

ヤマトタマムシ(写真1)、ノコギリクワガタの雄(写真2、3)、ダイサギ(写真4)をカメラに収めました。川が黄色く濁っています。雨によるものか、藻類によるものか分かりません(写真5)。因みに、本日の歩数は11,573でした。

閑話休題、『中里恒子 野上彌生子』(中里恒子・野上彌生子著、小池真理子編、文春文庫・精選女性随筆集)では、中里恒子の「今朝の夢」と、野上彌生子の「ひとりぐらし」が、とりわけ印象に残りました。

●今朝の夢
▶(いい風景が固定化して来るのは)若さを失うことではなく、若いときよりもっと新鮮に、感情が純粋になって来る、澄んで来るということである。多くを望まなくなり、ものを捨てること、かざりをとること、だんだん自我が見えてくることである。・・・年月は茫茫と経ってしまうが、まだ、未来があると思える。ほんとにいつでも私は、まだ未来があると思っていた。これでかたまってしまうと思ったことはない、へこんだり、ふくらんだり、柔軟な気持で生きてきた。・・・年は古(ふ)りても、心ははなやぐというのが、本当の春ではなかろうか。花の咲くのだけが春ではない。

▶しあわせとか、不しあわせとか言っても、そのひとの考え方、生き方できまるもので、他人が判断しても、どうして正しいと言えようか。そういうことが、だんだん気にならなくなるのが、人生の重さであって、重さも気にならなくなったとき、人間は、一番美しい状態になるのかもしれない。・・・昔はよかった、若いときはよかった、とはよく言う言葉だが、たしかに若い折にはそれなりの幸福もあった、しかし私は、自分について言えば、若い時の自分より、今の、現在の、歳月に晒された自分の方が、好きなのである。

『時雨の記』、『隠れ簑』、『裾野』、『歌枕』、『蝶々』などを通じて、中里恒子というのは、年齢を重ねることを前向きに捉えている人だと感じてきたが、今回、その思いが一層強まりました。

●ひとりぐらし
▶山の家にひとりで暮らしているといつものことながらアニミスティックになる。空に浮ぶ雲、森の樹立、渓流、それへ降るつづら折の細路から、足もとの一本の草、一つの小石まで、なにかみな親しく生命に溢れているかのように感じられる。

▶庭前。われもこう、萩、野ぎく、女郎花、こき紫の虎のお、お燈明のような赤いがんぴ――かけすがまた遊びに来ています。

野上彌生子と言えば、夏目漱石の弟子の野上豊一郎の妻という程度の認識だったが、毎日、野鳥・昆虫・植物・景色をカメラに収めながら歩き回っている私の仲間だと知り、嬉しくなりました。