榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

頭上をバリバリと機銃を発射しながら戦闘機が飛んで行きました・・・【山椒読書論(838)】

【榎戸誠の情熱的読書のすすめ 2025年9月19日号】 山椒読書論(838)

栃木の那須町で生涯学習型サロン「森のふくろう倶楽部」を運営している、かなり年下の友人・伊藤靖子さんから、文集『僕たちの終戦記念日』(伊藤靖子編)が送られてきました。

少年時の終戦記念日の記憶を綴った原稿と、編者の聞き書きで構成されています。小口良喜さん(90歳)、神田惣介さん(88歳)、前川さん(84歳)の記憶が、とりわけ印象に残りました。

●小口良喜さん(終戦時9歳)
「先生が『君たちは急いで家へ帰れ』と言われ、学校を飛び出して畑を横切って大道路へ出たところ、アメリカ軍戦闘機の大群がこちらに向かって来るのが見えました。周りは前日の焼夷弾爆撃で焼け野原となり隠れるところが無く、とっさに道端に積んであった電信柱の隙間にもぐり込んだとき頭上をバリバリと機銃を発射しながら戦闘機が飛んで行きました。この瞬間、私もこれで死ぬのだと、空を見上げると真っ青な夏空が見え、恐怖を越えて心が静まる気持ちになったことを覚えています。攻撃が終わってしばらくするとグラマン戦闘機1機が超低空、超低速で戻ってきました。そしてパイロットがコックピットから身体を乗り出して地上の何かを探していました。飛行機からはみ出した金髪、高い鼻を見て私には女性の兵士に見えました。初めて見たアメリカ人でした。何を探していたのか、ひょっとして道路に立っていた私を銃撃したパイロットだったかも知れないと今になって思います。市の記録ではこの機銃掃射で市民23名が死亡したとあります」。

●神田惣介さん(終戦時8歳)
「玉音は 歳経て鮮明 終戦忌――私は小学校の3年生でした。8月15日の昼でした。町内の大人達に混じり、ラジオの前に集まり、天皇陛下のお言葉を拝聴しました。当時のラジオは今と違って余り感度が良くありませんでしたが、戦争は終わったことを知りました。今も昭和天皇のお声をよく覚えています」。

●前川さん(終戦当時4歳)
「幸い品川の家が焼けずに済んだので、早々に東京に戻れました。諏訪駅から新宿行の電車に乗り、父が新宿駅に迎えに来てくれていました。新宿駅の屋根が空襲で無くなっていて、青い空が見えていたのを覚えています。暑い日だったから残暑の9月頃だったのだろうか・・・」。

巻末に、伊藤靖子さんが、「もしこの文集を手にされた方のお知り合いで、90歳前後の方で『記憶』にご協力いただける『おじいさん』『おばあさん』がおられましたら、ご紹介いただけると有難いです」と書いています。