懐かしさが込み上げてきました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3905)】
あまりに昔のことで何度目か曖昧模糊とした結婚記念日を祝って、和食処で昼食。至極健康な女房と、体のあちこちの部品が経年劣化状態の私。因みに、本日の歩数は13,525でした。





閑話休題、杉並散歩会仲間の戸倉一樹氏に教えられた『写真集 「荻窪百点」が見た 荻窪の今昔』(荻窪今昔研究所編、言視舎)を読み進めていくと、懐かしさが込み上げてきました。私は東京・杉並の荻窪育ちだからです。
●荻窪駅
父が上機嫌の時、木造の駅舎の前で客待ちしている輪タクに父と乗って帰宅したことがあります。
●天沼陸橋
陸橋の一角から自由研究の交通調査をしたことがあります。
●南口仲通り
2軒あった貸本屋と古本屋「岩森書店」は行きつけの店でした。果物屋の看板娘(中学の同級生の姉)は目が眩むような美人でした。
●南口バス通り
行きつけの「亀徳書店」で、毎月、母に絵本や小学生雑誌を買ってもらいました。
●ラーメン店
北口の「春木屋」、「丸福」のラーメンは素朴な味でした。南口の「三ちゃん」の焼きそば(太麺)は私の大好物でした。
●環8川南
就職してから帰郷した時、我が家(中学時代まで住んでいた家)の近くの細い砂利道が環8に変身していたのにびっくりしたことを懐かしく思い出しました。
●善福寺川
私が子供の頃は、岸はコンクリートでなく、草の生えた土手でした。
●大田黒公園
私が子供の頃は、大田黒邸の破れた垣根から広い庭に入り込み、遊び回っていました(立派な住居侵入罪ですね)。
●角川庭園
当時は角川一家が住んでいました。松溪中学の図書室には、角川国語辞典と角川漢和辞典が数十冊も寄贈されていました。1年先輩の角川歴彦氏とは廊下で何回か擦れ違ったことがあります。
●荻外荘
我が家(高校時代から住んだ家)から50mほどの荻外荘は、当時は、いつも厳めしい門が閉まり、静まり返っていました。
●荻窪団地
荻窪団地ができて、ここに住む友達が増えました。冒険気分で、友達と団地内のかなり高い給水塔の頂上まで登ったことがあります(登ることは禁止されていました)。
●白山神社
神社の祭りの日、夜店の親父から若い母が私と姉弟に見間違えられたときの嬉しそうな顔が、昨日のことのように鮮やかに瞼に浮かんできます。
●中道寺
住職の娘が中学の同級生でした。夏休みには境内で野外映画会が開かれ、大勢の子供たちが集まりました。
●小学校
桃井第二小学校その他の写真が掲載されています。我が母校・西田小学校の写真がないのが残念です。
本書のせいで、あの頃に戻りたくなってしまいました。
