全滅したフランクリン北西航路探検隊の生き残り「アグルーカ」の行方・・・【山椒読書論(149)】
北極圏の北西航路発見を目指した英国のジョン・フランクリン探検隊は、目的を果たすことなく、1848年までに隊員129人全員が死亡してしまった。しかし、アグルーカと呼ばれる男が生き延びて南に向かったというイヌイットの証言がいくつか残されている。
フランクリン隊、そしてアグルーカが辿ったルートを追体験したいと、2人の日本人冒険家が北極圏に向けて旅立った。『アグルーカの行方――129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(角幡唯介著、集英社)は、この1600kmに及ぶ壮絶な徒歩行の記録である。
アグルーカとは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する。背が高く、果断な性格の人物に付けられることが多かった。かつて北極にやって来た探検家の何人かが、この名前で呼ばれた。
船を放棄し、キングウイリアム島のテラー湾に漸く辿り着いたフランクリン隊が暫くして立ち去った後の状態について、テケタという名のイヌイットが探検家、チャールズ・フランシス・ホールに次のような話をしたという。「毛布や寝台それにたくさんの骨や頭蓋骨が残っていた。骨からは肉が完全になくなっており、骨にくっついている神経以外は何もなかった。一見した感じだと、狐や狼が骨から肉を食い荒らしてしまったようだった。ただ鋸で切断された骨もあったし、穴があけられた頭蓋骨もあった」。鋸で切断された骨や頭蓋骨というのは、明らかにこのキャンプ地でカニバリズムが行われていたことを示している。
さらに、ワシントン湾でイヌイットから聞いた話として、食物を求めて近づいてきた白人の1人はアグルーカ、もう1人はトゥールーアとイヌイットから呼ばれていたと記録している。また、現場でアグルーカに命じられて通訳をした人物はドクトク(探検隊の医師)と呼ばれていた。彼らの状態は酷いもので、飢えのために肉はすっかり削げ落ち、体は痩せ細っていたという。
リパルス湾に達した時には、フランクリン隊は既に4人にまで減っており、リーダーはアグルーカと呼ばれる男で、ドクトクという男が彼と行動を共にしていたという。アグルーカは酷い飢えに苦しんでおり、やつれて目が窪み、顔色が悪かった。その後、仲間の1人が病気のために死亡した。フランクリン隊の最期の生き残りは遂に3人となった。著者らは、アグルーカとその仲間が、その後、向かったという不毛地帯の奥深く、ベイカー湖目指して旅を続けた。
アグルーカとは、いったい、フランクリン隊の誰だったのだろうか。著者は、フランクリン隊の副官だったフランシス・クロージャーだという結論に達しているが、その論考は説得力がある。