映画化された松本清張作品を分析することによって清張の深層心理に迫ろうという意欲的な著作・・・【情熱的読書人間のないしょ話(4018)】
上空を旋回するドバト(伝書鳩)たちが朝陽に輝いています(写真1、2)。久しぶりに訪れた東武アーバンパークラインの千葉・流山の初石駅がすっかり立派になっているので、びっくり(写真3)。千葉・柏のパレット柏で、上鈴木春枝講師の講演会「竹取物語」を聴講しました(写真4、5)。日本最古の物語『竹取物語』について、①作者は学者か僧侶か貴族の男性で、藤原政権の批判者ではないか、②婿選びでは、かぐや姫が主導権を握っている、③身分の低い求婚者ほど努力をしている、④かぐや姫と帝は心を通わせ合っている、⑤かぐや姫は月の世界で何らかの罪を犯したため、罰として地上に降ろされた、⑥月へ去るかぐや姫から贈られた手紙と不死の薬を、別れを嘆き悲しむ帝が天に一番近い山の頂で燃やさせ、その山を「ふしの山」と名づけた。その煙が今も立ち上っていると伝えられている――と、意外に奥深い作品であることを教えられました。絵本でしか読んだことがない私は、原文と現代語訳を読みたくなり、『新版 竹取物語 現代語訳付き』(室伏信助訳注、角川ソフィア文庫)を「読みたい本」リストに加えました。なお、7月の講演会の講師は私が務める予定です。陶芸作品展では、味わい深い茶碗が展示されています(写真6,7)。因みに、本日の歩数は8,061でした。












閑話休題、『松本清張の深層心理――隠された潜在メッセージ』(藤脇邦夫著、幻冬舎)は、松本清張の全作品のおよそ9割以上を読破した著者の、映画化された清張作品を分析することによって清張の深層心理に迫ろうという意欲的な著作です。
●『霧の旗』――映画化作品から読み解く潜在メッセージ
●『波の塔』と『内海の輪』、そして『砂漠の塩』――恋愛と不倫の境界線
●『ゼロの焦点』と『砂の器』――絶対に隠したい、誰にも知られたくない過去
●『けものみち』と『迷走地図』――政治の魑魅魍魎という幻想譚
●『疑惑』の核心、その虚像と真実
清張の、上昇志向と、最良のエネルギーとしてのある種のコンプレックス、さらに下層階級からの富裕層に対する対抗意識、そしてリベンジ(復讐)といった要素の基盤に、人間「性善説」ではなく、「性悪説」という地下水脈が横たわっているというのです。
「松本にとって何よりも必要なのは、妥協することのない主人公がいる世界を構築することだ。作家となる前には妥協するだけの人生を送ってきた自分が、どうして創作の小説の中で妥協しなければならないのか。要するに、小説という虚構の設定を借りて、松本は主人公を自分の分身として行動させているわけで、真意を託された主人公たちが改悛することは絶対にあり得ない。そんな意識は松本の考える社会常識の中には最初から存在していない。この考えから復讐に至るのはたやすい意識転換だが、その要素を付け加えると松本の意図はことさら鮮明になる。松本はこのような潜在意識を二人の女性(=『霧の旗』の桐子と『疑惑』の球磨子)に振り分け、その存在に翻弄される周囲の社会体制と権威の狼狽ぶりを見てみたかったのではないかと筆者は推測している。そして、そのようなストーリー展開と結末は絶対に、一般庶民の支持を得るという確信を持っていた。松本がこのような考えを保持するに至った経緯には、戦前からの出自と環境に原因があったことは想像に難くない。そのためか、三島由紀夫の作品群は最後まで認めようとしなかったし、谷崎潤一郎の世界とも終生無縁だった。大体、松本にとって、デカダンスとか、陶酔感といったものほど意味のないものはない」。
三島が清張を嫌ったことはよく知られているが、清張と三島の作家としての力量には横綱と前頭ぐらいの差があったと、清張大好き人間の私は考えています。
