死海文書に関する興味本位の本の誤りをきっぱりと正す書・・・【山椒読書論(177)】
1947年に死海の西岸の荒野(クムランと呼ばれる地域)で多数の死海の巻物(死海文書)が発見されて以来、死海文書を扱った興味本位のセンセーショナルな本が相次いで出版されてきた。私は、これらの本によって植え付けられた誤った知識に毒されてしまっているのではないか、という懸念を払拭できないできた。そこで、学術的に最も信頼できる『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ヴィンダーカム著、秦剛平訳、青土社)で知識の洗い直しを試みた次第である。
私が一番確認したかったことは、死海文書を残したクムランの宗教共同体の人々と、イエスおよび最初期のキリスト教徒との関係である。死海文書と新約聖書の成立時期を同時代と見做し、死海文書に登場する「義の教師」あるいは「悪しき祭司」がイエスを暗示しているという説さえあるからである。
本書はかなり専門的であるが、私の上記の疑問を解明してくれているので、大いに満足している。
考古学的にも書体学や他の文献との比較研究からも、クムランの共同体はイエスが生きた1世紀よりかなり以前の紀元前2世紀の後半に存在したことが明らかにされ、「義の教師」は、エルサレムから自分の支持者の小さな集団を率いてクムランに都落ちした、クムランの共同体の創始者、「悪しき祭司」は「義の教師」のライヴァルか敵対者だったと見做されているからである。
言うまでもなく、死海文書が著された時期は、新約聖書の諸文書が著された時期――イエスの死の40~60年後――より相当早いのだ。
メシア出現や終末論の観念、所有物を共有する慣習、光と闇の二元論など、クムランの人々の信仰と最初期のキリスト教徒のそれの間で類似するものが多いのは、当然と言えば当然である。両者ともユダヤ教から多くのものを受け継いでいるからである。
一方、「初期のキリスト教信仰の独自性は、ガリラヤのナザレ出身の貧しい女と大工の間に生まれた子が、教え、癒し、苦しみ、死に、復活し、天に上り、そして生ける者と死者を裁くために栄光のうちに再臨すると約束したメシアにして神の子だったというその中心的な告白にあるという単純だが深遠な事実に光をあてたことである」。歴史上の人物・イエスがメシアだったと申し立てることによって、キリスト教は成立したのである。