榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ギャツビーの情熱的な生き方に乾杯!・・・【山椒読書論(220)】

【amazon DVD『華麗なるギャツビー』 カスタマーレビュー 2013年7月17日】 山椒読書論(220)

月光の中、入り江の対岸にともる緑色の灯を見つめながら、震える両手を差し伸べていたギャツビー氏とは何者なのか? 大理石のプールがあり40エーカーも芝生がある大邸宅に、着飾った大勢の男女を招いて、夏の間中、毎夜のように豪華なパーティを開くギャツビー氏とは何者なのか?

グレート・ギャツビー』(フランシス・スコット・フィツジェラルド著、村上春樹訳、中央公論新社・村上春樹 翻訳ライブラリー。あるいは、野崎孝訳、新潮文庫。村上春樹の新訳が評判だが、野崎孝の訳も味わいがある)の主人公ジェイ・ギャツビーは、貧困の中から身を起こし莫大な富を築き、かつて貧しいが故に結ばれることのできなかった良家の美しい娘デイジーに、今も熱い思いを寄せている。デイジーは資産家と結婚しているが、夫に愛人がいるため、その生活は決して満ち足りたものではない。5年ぶりにデイジーと念願の再会を果たしたギャツビーは、デイジーをついに手中にできると確信するが、幸せは指の間からこぼれ落ちていく。

憧れの女(ひと)を手に入れるというただそれだけの目的のために、世間の裏道を歩み、泥にまみれ、全知全能を振り絞って、巨大な富を築き上げたというのに、デイジーはギャツビーが心の中で織り上げた夢の女に過ぎなかったというのか。

ギャツビーの行動は、一見、貧しい若者の立身出世のための行動と見られがちだが、ギャツビーにとって、世間的な成功は目的でなく、あくまでも手段に過ぎない。彼の目的は、デイジーという一人の女性に象徴される夢の実現である。彼はひたすらその夢を追い、夢の実現に全てを懸けたのだ。

男を測る物差しは人によってさまざまであろうが、自分の夢を持ち、その夢の実現に向けて力の限り挑戦しているか否かは、その一つになり得ると思う。ロマンは常に男のものである。

ギャツビーほど情熱的に生きることは無理としても、我々もそれなりに情熱的に生きることはできるはずだ。

DVD『華麗なるギャツビー』(ジャック・クレイトン監督、ロバート・レッドフォード、ミア・ファロー出演、パラマウント・ホームエンターテインメント・ジャパン)は、原作の味わいをよく伝えている。