榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

凄い書評家を発見したぞ!・・・【情熱の本箱(60)】

【ほんばこや 2014年11月24日号】 情熱の本箱(60)

凄い書評家を発見した喜びに浸っている。正直なところ、何気なく手にした『<問い>の読書術』(大澤真幸著、朝日新書)であるが、読み始めて直ぐに、この著者が「凄い書評家」であることを思い知らされた。

凄い点はいっぱいあるが、無理やり3つにまとめると、こういうことになろうか。第1に、大澤が素晴らしいと惚れ込んだ著作の魅力の伝え方が鮮やかなこと。第2に、書評対象の書籍を突破口として、そこから発展させた大澤自身の見解が独創的で強い輝きを放っていること。第3に、普通の書評ではあまり見かけない作品も対象とするなど、先入観や偏見から自由であること。

第1の点は、「世界を知るための包括的な批判的思考は存在するか 廣松渉『今こそマルクスを読み返す』」、「歴史を物差しにする視点とは 岡田英弘『世界史の誕生――モンゴルの発展と伝統』」、「超難問はどう乗り越えるべきか 大栗博司『重力とは何か――アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』」、「なぜ男と女(だけ)がいるのか 団まりな『性と進化の秘密――思考する細胞たち』」、「母の『呪術の園』から何を得たか 姜尚中『母』」、「原初と文明は共存できるか 網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』」、「『本質的なこと』を問い続けるダイナミズムとは 内田隆三『社会学を学ぶ』」などで顕著である。このうち、未読の『世界史の誕生』『性と進化の秘密』『社会学を学ぶ』を読みたいという思いが猛然と湧いてきた。

「しかし、団まりなは、これ(通説、あるいは通説とまではいかないが、多くの専門家が支持している多数説)とはかなり違ったところに、有性生殖の意義を見ている。彼女の説は、生物の進化の全体を視野においてスケールの大きなものである。・・・要するに、性(有性生殖)は、死に対する生物の抵抗によって生み出された、というのがこの(団の)仮説のポイントである。団は、通説(遺伝子組み換え説)よりも、自分の説(死への抵抗)の方が、説得力がある、と考えている。たとえば、本書で紹介されているゾウリムシの実験は、確かに、団の仮説にとって有利な素材だ。・・・(受精段階では)細胞は、十分には外から栄養を摂取することができない。そこで、親(母)は、無事な成長を願って、子にできるだけたくさん、『弁当』をもたせることになる。めいっぱい弁当(栄養)を抱えた配偶子が、大きな配偶子、つまり卵である。しかし、卵は、あまりにもたくさん弁当を持っているので、身動きができない。しかし、卵としては、別の配偶子と出会わないことには、困る。そこで、『出会い』のためにすばやく動き回ることを担当する、もう一つのタイプの配偶子が必要になる。そのもう一つのタイプは、どこにあるとも知れぬ卵に出会うために、できるだけすばやく動き回ることができなくてはならない。それが、精子だ。・・・ほとんどの生物学者は、生物のメカニズムを、分子(たとえばDNA)の相互作用によって説明し尽くそうとする。だが、団の考えでは、分子と細胞では、まったく別の階層に属している。細胞は、分子の相互作用には還元できない細胞独自の論理で動き、細胞独自の『目的』をもち、細胞なりに判断し、思考している(ように少なくとも見える)。生物学者は、普通、遺伝の基本はDNAの複製だと考える。しかし、団の考えでは、遺伝の基本は細胞分裂にある。『遺伝プログラム』と言ったとき、DNA上の情報を考えるのが、普通の生物学者だが、団にとっては、遺伝プログラムは、DNAにではなく、細胞質や細胞構造に書きこまれているのだ」。

第2の点は、「『半沢直樹』はなぜカッコいいのか 池井戸潤『オレたちバブル入行組』」、「救世主はいるのか 朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』」、「格差社会の本質はどう解くか 山田昌弘『なぜ若者は保守化するのか――反転する現実と願望』」、「努力は能力のひとつか 苅谷剛彦『学力と階層』」、「人が魂を失うときとは 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』」などで展開される大澤の論理は、ハッとさせられるほど深く掘り下げられていて魅力的だ。

「半沢直樹は、この不可能な理想を体現しているのである。現代社会においては、不可能な理想をあたかも可能であるかのように造形すると、半沢直樹になる。リアリズムに貫かれている作品の中で、半沢だけが非現実的な点になっているのは、このためである」。

「思うに、この(力道山と木村政彦の)一戦において、木村の勝利には、もともと、必然性が、つまり社会的・時代的な必然性がなかった。逆に、力道山にはそれがあった。ある意味で、木村は負けるべくして負けたのである。ヘーゲルだったら、これを『理性の狡知』と呼ぶだろう。木村も力道山も、自分ではそうと意識することなく、時代精神の持ち駒のようなものとして、それぞれに割り振られた役割を演じさせられているのだ。力道山は、木村との間で約束していた台本を裏切ったかもしれないが、当時の日本の時代精神が用意していた、無意識の台本には従っていたことになる。もう少し具体的に説明しよう。当時の(大半の)日本人は、この一戦で、力道山が勝つことを望んでいたのではないか、と私は推測する。・・・ヒクソン(・グレイシー)は言った。木村は魂を売った、と。木村が魂を失った瞬間を特定するとすれば、それは、木村が(心底から尊敬する師の)牛島(辰熊)を裏切り、牛島から離反したときである。・・・牛島との関係が切れれば、木村は『魂』を失ったに等しいことになる。(プロレスの約束事である)八百長を恥と感じる心は失われてしまう。彼は、力道山戦の致命的な敗北へとつながる道を、このときに歩み始めていたのではないか」。

第3の点は、コミックを取り上げた「未来の他者との連帯は可能か ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』」、在特会を論じた「『愛国』とは何か 安田浩一『ネットと愛国――在特会の<闇>を追いかけて』」などから、その姿勢のあり方が伝わってくる。

もっと早く大澤真幸という凄い書評家と出会いたかったと思う。