榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『南総里見八犬伝』の解剖学的解説書の凄み・・・【情熱の本箱(242)】

【ほんばこや 2018年6月28日号】 情熱の本箱(242)

敬愛する松岡正剛が、『千夜千冊エディション 本から本へ』(松岡正剛著、角川ソフィア文庫)の中で、「高田衛さんの『八犬伝の世界』を読んで、愕然としたんだね。目からウロコが落ちました」と絶賛している以上、読まないで過ごすわけにはいかず、『完本 八犬伝の世界』(高田衛著、ちくま学芸文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を手にした。

結論から先に言うと、松岡の言うとおり、この『南総里見八犬伝』の解剖学的解説書は凄い本で、目から鱗が落ちっ放しであった。

「作者(曲亭馬琴)には、歴史、伝説、故事にたいする博い知見や学識も必要で、『八犬伝』の各冊をいちいち見ていて、その筋、口絵、挿絵、語りのみごとさ(時代考証、場面設定)、その裏付けとなる作者の学力と知性に対して、いくたび舌を巻いたことか。そして、『八犬伝』の先の展開が、まだ読めず、その都度の物語に一喜一憂する同時代読者の立場に、あえてみずからを置き換えてみたとき、さまざまな奇妙な問題を感じなくてはいられなくなってきたのだった」。

「知ってのとおり、この長編は乱世戦国を背景にした安房里見家の勃興史なのである」。

「『二輯』巻一が、『八犬伝』の『脳髄』であるとする(北村)透谷の見解に私は全面的に共感する。・・・本書ではこれを伏姫物語と仮称して、ただ神聖受胎論とするのではなく、この変形した異類婚姻譚の中に錯綜する、さまざまの脈絡を、典拠、主題、その中の因果論や象徴主義の方法などを、一つ一つ解きほぐしてゆこうと思う」。この高田の言葉に、馬琴に劣らぬ気宇壮大な意図が表れている。

「里見・房総関係資料が独特の神話的想像力の運動によって再構成され、虚構として自立しつつ、一つの史伝体伝奇物語のストーリーのレベルに凝集してゆく過程が目に見えてきた。これに加えて、玉梓悪霊の司霊する『犬』が登場することによって、馬琴の伏姫物語のお膳立ては全部ととのうわけである。『犬』の話はもちろん槃瓠説話を拠りどころにしている」。

「白犬だが身体に『八所の斑毛(ぶち)』があるので八房と名づけ、(里見)義実はこの犬を里見の飼犬とした。伏姫の遊び相手となって育ち、かわいがられて、伏姫17歳になる頃は、たくましい猛犬となった。牡犬であった」。

隣郡の安西景連に攻められ、落城を覚悟した「義実の前に、(飢えのため)痩せ衰えた八房が姿を見せた。いじらしくて、義実は何気なくつぶやく。こんな時にお前が敵将安西景連を啖い殺してくれたらなあ、その時は恩賞は望む通りにするぞ、魚肉はふんだんに喰わせるぞ、と。八房は背を向けてこばむ様子であった。つい戯れて、しからば官職を与えんか、領地をあて行なわんか、それともわが女婿にして伏姫と妻(めあわ)せんか、と言った。八房は、尾をふり頭をもたげ、『わわ』と吠え、それを望むかの様子を見せる。義実は笑って、よし、事成れば婿にせん、と言いながらも興ざめして、つまらぬ冗談を言ってしまった、われながら愚かなことよ、とひとり言して奥に入った」。この戯れの言葉が思いがけない事態を招くのである。

「八房はその夜、安西の陣営深くしのび入り、敵将安西を殺して、その首をくわえて戻ってきたのである。・・・滅亡必至であった里見軍は、一匹の犬の大功のため、労せずして宿敵を自壊させ、義実は安房一国の国主となったのである。さて、そうなると問題は八房への恩賞であった。・・・八房はその(最高の待遇という)恩賞に見むきもしなかった。ひたすら義実が口にした、伏姫の婿にせんという約束の履行を迫るかのように、人々には見えた。・・・激怒した義実は、ついに自ら長槍をとって八房を殺そうとした。八房は真っ向から牙を剥き出して、反撃の気配を見せた。その間に割って入ったのは伏姫であった」。なお、『南総里見八犬伝』の挿し絵では、確かに「長槍」だが、馬琴の原文は「短槍」となっている。

「透谷を引きあいに出すまでもなく、作者馬琴自身が、この伏姫物語を『八犬伝』世界の『秘鍵』であると言っている」。

「伏姫は、わが生命を八房に与える決意のもとに、犬と共に(山中で)暮した。けれど人間の尊厳を捨てる気持はなかった」。八房に同行する時、伏姫は八房に「自己を恋慕する犬に身も生命も与える、しかし肌身は許さない」と言い聞かせる。

「馬琴は文章の音楽で読者を酔わせ、文章の紋様の呪法で読者をめくらませ、この世ならぬ不思議な聖女と犬の物語に読者を招き入れ、やがておとずれる悲劇をあらかじめ追悼している」。悲劇とは、何ぞや。

「伏姫の月水(つきのさわり)は止まったのである。その後、伏姫は山中で牛に乗った笛吹き童子に逢う。童子(仙童)は伏姫に懐胎を告知する。伏姫は純潔である。懐胎するわけがない。・・・八房と伏姫は、犯し犯されることなく、たがいに情欲なくしてすでに夫と妻ではないか。彼(八房)はおん身(伏姫)を愛するゆえに、その(伏姫の)読経を聞くのを喜び、おん身は彼が聖教に帰依するのを知って、憐れみの情を持ったではないか。その情はすでに相感している。受胎に何の不思議があろう、と(童子は)言うのである。この論理を、伏姫はすぐには諒解できない。当然のことであろう」。処女懐胎に犬を配する馬琴の伝奇幻想の想像力のまがまがしさは驚嘆に値する。「これは、かつてない異様な美と暗さが妖しく同居する世界ではないだろうか」。

八房を殺し、伏姫を奪還しようと洞穴に近づいた里見家の元家臣・金碗大輔(後のゝ大<ちゅだい>法師)の鉄砲によって、八房だけでなく、誤って撃たれた伏姫も命を失ってしまう。割腹した伏姫の腹から八つの珠――孝、義、忠、信、悌、仁、智、礼――が空に飛び散り、これらの珠を持つ八犬士――犬塚信乃、犬川荘介、犬山道節、犬飼現八、犬田小文吾、犬江親兵衛、犬坂毛野、犬村大角――の波瀾万丈の物語が、この後、華々しく展開されていく。

馬琴、透谷に倣うわけではないが、私も伏姫物語が『八犬伝』の掌中の珠だと考えている。