榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦後、「娼婦俳人」と言い囃され、突如、消息を絶った鈴木しづ子の生涯・・・【情熱の本箱(289)】

【ほんばこや 2019年9月1日号】 情熱の本箱(289)

夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(鈴木しづ子・川村蘭太著、河出文庫)は、戦後の昭和27(1952)年9月に、突如、消息を絶った謎の女流俳人・鈴木しづ子の2冊の句集と、しづ子の美貌に心を奪われた川村蘭太のしづ子追跡の記録で構成されている。

戦後、岐阜でダンサー、黒人兵のオンリーとなったしづ子が、「娼婦俳人」と言い囃されたのは、尊敬する俳句の師匠・松村巨湫を含め、誰にも自らのことを語らず、俳句の中でのみ自分を曝け出したためである。彼女の官能的な俳句が人々に強烈な印象を与えたこと、彼女が「もの静かで頭の良さそうな背の高い美人であった」ことが、注目を集める切っ掛けとなったのだろう。

そういう俳句を、いくつか挙げてみよう。
●ダンサーになろか凍夜の駅間歩く
●あはれ指紋すべての娼婦とられたり(句集不収録)
●ダンサーも娼婦のうちか雪解の葉(句集不収録)
●品定めさるるに狎れし雪ちらつく(句集不収録)
●検診の日にきて雪の深みけり(句集不収録)
●梅雨降りの娼家に立ちて友を呼べり(句集不収録)
●性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり(句集不収録)
●実柘榴のかつと割れたる情痴かな
●まぐはひのしづかなるあめ居とりまく
●裸か身や股の血脈あをく引き
●情慾や乱雲とみにかたち変へ
●慾望や寒夜翳なす造花の葩(はな)
●黒人と踊る手さきやさくら散る
●娼婦またよきか熟れたる柿食(た)うぶ
●雪こんこん死びとの如き男の手
●遊廓へ此の道つづく月の照り
●夏みかん酢つぱしいまさら純潔など

川村は、しづ子が本当に娼婦だったのか、そう噂される理由は何だったのか、33歳で消息を絶つまで、どういう生活を送ってきたのか、彼女が自らを語らなかったのはなぜか、彼女が突如、消息を絶ったのはなぜか、彼女にとって俳句とは何だったのか――川村の執拗かつ丹念な追跡が続く。

川村の追跡によって明らかになったことが多い。

「僕のしづ子への思い入れが、次のような結果を導くのかもしれないが、岐阜での取材からは、彼女が定説で語られているように『堕ちた』という印象はない。確かにしづ子は、ケリー・クラッケ伍長のオンリーであったかもしれない。しかし、僕には、その関係は純粋な恋愛のように思えてならない。どろどろとした背後関係がまったく匂ってこないのである。僕は岐阜でのしづ子は、ケリー・クラッケ伍長がその出身地であるテキサス州で亡くなるまで、伝説のしづ子像から逃れ生々と俳句と恋愛に生きていたと解釈したい」。

「鈴木しづ子は、この(しづ子の第二句集『指環』の)出版記念会に姿を現わした約半年後の昭和27年9月15日付の投句稿を師松村巨湫(本名光三)宛に郵送後、その一切の消息を絶つのである」。

「昭和38年当時、12年前に己が手元に送られてきたしづ子の俳句を(今回、送られてきたかのように装い)初めて触れるがごとく評し、(あたかも実現したかのように)彼女(と)の(ひさかたぶりの)再会を喜んでみせる師巨湫の姿は、せつなく哀れである。昭和38年まで愛弟子鈴木しづ子を生かしめた松村巨湫は、その翌年の39(1964)年7月23日、川崎市小杉町の自宅にてその69年間の生涯を閉じるのである」。この師・巨湫と愛弟子・しづ子の精神的な絆には、本当に胸を打たれる。

「(消息を絶つ直前の)しづ子の俳句は、確かに死を匂わせる作品群で埋まっている。いやしかし、鈴木しづ子の大量投句稿の大半がいわば自殺願望の俳句で埋め尽くされているといってよいだろう。やはり、最愛の人ケリー・クラッケの死が鈴木しづ子のこの願望を満たすに至る引金となったのであろうか」。

「しづ子のこの凄みともとれる『私』への寡黙さは、俳句だけに生きようとした覚悟ともとれる。しづ子の第一句集『春雷』のあとがきに記す『句は私の生命でございます』という彼女の言葉が、今僕に重くのしかかってくる」。

「恋人ケリー・クラッケを亡くし、また、(父に捨てられた)最愛なる母の墓を(祖先の墓がある岐阜に)建て終えた鈴木しづ子。そんなしづ子に残されたものは一体なんであったのか。その答えは死ではなく、いっさいの過去を断ち切った再出発であって欲しいと祈る気持ちでいっぱいである」。

戦争とは何か、生命とは何か、愛とは何か、俳句とは何か、師弟とは何か――を考えさせられる一冊である。