ブレヒトと、彼を巡る多くの女性たちとの愛と性の真実・・・【情熱の本箱(345)】
『聖母と娼婦を超えて――ブレヒトと女たちの共生』(谷川道子著、花伝社)は、生涯、多くの女性たちと共生関係を持ったオイゲン・ベルトルト・ブレヒトとその女性たちに照明を当てた意欲作である。
「演劇の世界においてのみならず、時代と切り結んだ数多くの詩や小説、散文、評論を我々の手に残してくれたブレヒト」。
「ブレヒトには『一夫多妻的傾向』があった。『一夫一婦制の市民社会的モラル』から『自由』であった、と言いかえてもいい。ブレヒトの生にはその生涯に亘って、多くの男性のみならず、実に多くの女性が立ちあらわれた。母親、愛人、妻(伴侶)、友人、同僚、同志、人間的共同存在――その関係はどうであれ、一人の人間(男性)の私的関係は、女性との具体的交渉なしにはありえないだろうし、公的関係も私的関係を抜きにしては、その考察は片手落ちとなろう。・・・ブレヒトがその作品に協力者として名を付した女性も多い。・・・『靴をはきかえるように国をはきかえた』十数年の亡命の旅において、亡命地でその国の言葉を殆ど覚えようとしなかった(6年近くを過したデンマークでさえも)ブレヒトにかわって、現地のことばを習得し、生活の手だてをととのえたのは、妻ヘレーネ・ヴァイゲル、秘書マルガレーテ・シュテフィン、アウグスブルク時代からブレヒト家に仕え亡命の地デンマークにも従った乳母マリー・レッカー・オーム等の女性たちであった。更にブレヒト・ファミリーの亡命の旅を世話したのも多くは女性であった。・・・(19)40年ナチスがデンマークとノルウェーに侵攻してブレヒトがフィンランドに『国をはきかえた』時、ブレヒト一家を献身的に援助したのはフィンランドの女性作家、ヘッラ・ヴォリヨキであった。ヴァイゲルやシュテフィンたちが当地の人たちとよく交わり、ブレヒトのまわりに集ってくる人たちを関係の中によく紡ぎあわせるのに貢献もしたろうが、ブレヒト自身によくよく、人間を、仲間を、とりわけ女性をひきつける力、魅力の何がしかがあったのだろう。それはブレヒトの人間観、女性観、恋愛観、そして何より仕事観に、関連があったように思われる」。
ブレヒトが21歳の時、17歳でブレヒトの息子(私生児)を産んだパウラ・バンホルツァー、パウラとの交際中に恋人関係になり、1922年に結婚し、娘を産んだ、5歳年上の女優でオペラ歌手のマリアンネ・ツォフが登場する。1923年には2歳年下の女優ヘレーネ・ヴァイゲルと出会い、翌年には息子が生まれている。そして、1929年にヴァイゲルと再婚する。まさに、ブレヒトの生と性の疾風怒濤時代である。ヴァイゲルは、以後、ブレヒトが死を迎える1956年まで、ブレヒトの妻として、その生を共にする。
ブレヒトを崇拝する3歳年下の恋人マリールィーゼ・フライサー。ブレヒトにベンヤミンを紹介し、「職業としての革命家」として1920~30年代のソヴィエトとドイツを繋いだアーシャ・ラツィス。デンマーク王立劇場の女優という地位も医学部教授の妻という地位も放擲してブレヒトの亡命の旅に従い、ブレヒトの協力者ともなったルート・ベルラウ。ブレヒトの女性協力者として、その生をほぼ「まっとう」したエリーザベト・ハウプトマン、マルガレーテ・シュテフィン。フィンランド時代のブレヒト・ファミリーを支え、その作品の共作者となり、かつフィンランド演劇の母とも言われたヘッラ・ヴォリヨキ。胆っ玉おっ母あ等の演技でブレヒト演劇を舞台で創造した女優、ブレヒトの生涯の妻、ヘレーネ・ヴァイゲル――と、多彩な女性たちが入れ替わり立ち替わり現れる。ただし、「男と女の関係においてみる限り、アーシャ・ラツィスは『ブレヒトの女』ではない。むしろ今ラツィスは、『ベンヤミンの女』として有名になりすぎたきらいさえある」。「ブレヒトより12歳年長で、初対面の頃には54歳であったヴォリヨキは、『ブレヒトの女』ではない」。
ブレヒトの女性観が、簡潔に示されている。「ブレヒトの女性との関係にはひとつのパターンがあるようだ。まずは相手が何らかの形でブレヒトの仕事につながった彼女自身の仕事をもつ女性であること。そして彼女たちが自らの仕事で自立しつつ、彼自身の仕事に密殺に関わりあうよう『仕向ける』こと。おそらく口に出しては要求はしないのだろうが、彼女が自分の人生を彼の仕事に傾注することをブレヒトは無言の前提としていた。ただし彼自身は相手の人生に自己を失うほど深入りはしない」。
「『愛』はなまもの故に、厄介だ。ベルラウもシュテフィンも、『ライ・ツー(愛人)たち』は『惚れた弱み』に泣いた。それが時代という条件の中の、男と女の力学の『愛の落し穴』だったろうか。それだけではないだろう。女であること(愛と性)を切り捨てることなく、しかし『ライ・ツーたち』は、ヴァイゲルを含めて、ブレヒトだけにでなく、『ブレヒトの仕事』にも惚れたのだ」。
集団で仕事することを重視するブレヒトの仕事観は、このように説明されている。「情報の山をつくり、トンネルを掘って、その中から集団的に『食べられることによって栄誉を得るりんご』を生産しようという志に支えられた作業、『精神財の私有権に関するだらしなさ』は、誰のつくったりんごか、という問題より、そのりんごが誰にどういう役に立つか、という、りんごの質と作用の方向性の問題を優位に置こうとする、ブレヒトの基本姿勢とも関連しよう」。
私には、著者の谷川道子も、本書に登場する数多くの女たちに負けず劣らず、ブレヒトという男とその仕事に魅入られた女性の一人に見えてならない。