榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

グーグルより38年早く「検索サービス」を始めた男、江副浩正の光と陰・・・【情熱の本箱(354)】

【ほんばこや 2021年3月22日号】 情熱の本箱(354)

江副浩正を尊敬している私は、●江副が次々と画期的な事業を立ち上げ、成功させた秘密は何か、●江副ほどの人間がリクルート事件を起こした原因は何か、●江副が去った後も、リクルートが発展を続けている理由は何か――という疑問を抱いてきたが、このほど手にした『起業の天才!――江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之著、東洋経済新報社)が、これらの疑問に明快な答えを与えてくれた。本書は、緻密な取材・調査に基づき、江副という稀有な天才の光と陰を余すところなく剔抉した力作である。

本書を読み始めて、驚いたことがある。リクルートの若い社員たちが、江副という創業者のことを知らないという事実である。これほどの企業を築き上げた人物であっても、人々の忘却の彼方に消えてしまうということに無常を感じるのは、私だけだろうか。

冒頭に掲げられた瀧本哲史の江副評は、さすが、的確である。「江副さんの経営は常に目的合理的で『資本主義そのもの』でした。江副さんを筆頭に東大で心理学を学んだ人たちが作ったリクルートは、極めて科学的な会社であり、その後の日本のベンチャー企業の原型になりました。にもかかわらず、『リクルート事件』があったため、経営者としての江副さんの革新性は世の中にあまり知られていません」。

「今では、リクルートの若手社員も、江副さんがどんな人物だったか知りません。江副さんは、多少いかがわしい部分もありますが、非常に多面的な人でした。・・・江副さんの経営には『顕教』と『密教』がありました。顕教が『来るべき情報化社会の先頭に立つ』という超理想主義だとすれば、その情報を利用した株の空売りで『こすっからく儲ける』部分が密教です。その多面性こそが、江副浩正という人の特徴でした。その江副さんが『リクルート事件』を起こしてしまったのは、当時の日本に洗練された投資家がいなかったからです。起業家はたいていの場合、最初は誰もが『暴れ馬』です。暴れ馬をちゃんとした競走馬に育てるには、優れた調教師が欠かせません。レースで勝つには騎手の力も必要です。アメリカで調教師や騎手の役目を果たしているのがエンジェル投資家です。・・・しかし残念ながら江副さんには助言者がいなかった」。

「リクルートが他のベンチャーと異なるのは、江副さんという強烈なキャラクターの創業者が去った後も、会社として成長し続けたところです。理論が好きな江副さんは、創業メンバーと一緒に、会社が成長し続ける『仕組み』を作りました。リクルートの社員は、江副浩正というカリスマではなく、江副さんが構築した思想体系を信奉していたから、江副さんがいなくなってもブレずに目的合理的な資本主義を貫くことができたのです」。

著者の嘆きの言葉に、大きく頷いてしまった。「日本のメディアが、いやわれわれ日本人が『大罪人』のレッテルを貼った江副浩正こそ、まだインターネットというインフラがない30年以上も前に、アマゾンのベゾスやグーグルの創業者であるラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンと同じことをやろうとした大天才だった。その江副を、彼の『負の側面』ごと全否定したがために、日本経済は『失われた30年』の泥沼にはまり込んでしまったのである」。

「『求人広告だけの雑誌』――『企業への招待』から始まった、リクルートの情報誌ビジネスのいったいどこが革新的だったのか。いまだからわかることだが、江副の情報誌は、一言で言えばインターネットのない時代の『紙のグーグル』だったのである。つまり、情報がほしいユーザーと、情報を届けたい企業を『広告モデル』(ユーザーには無料)によってダイレクトに結びつけたのだ」。

「会社を立ち上げて間もないころ、マミヤ光機(現・マミヤオーピー)の創業一族で、同級生だった菅原茂世に勧められてピーター・ドラッカーの『現代の経営』を読んだ。たちまち江副は、マネジメントの神髄を説くドラッカーを『書中の師』と仰ぐようになる。自分が作った小さな会社で、師が唱える『近代経営のマネジメント』を純粋に実践した」。

「江副は『リクルートブック』(1969年2月『企業への招待』を誌名変更)で稼いだ利益を、自社の人材確保に惜しみなく注いだ。工場を持たないリクルートにとって、唯一の生産設備は人材である。採用と教育に法外なカネをかけ、日本リクルートセンターという柵の中にせっせと優秀な人材を囲い込んだのだ」。

「江副浩正は、自分にはない才能をもつ人材を見出し、その人を生かすマネジメントの天才だった。・・・『心理学』を経営に生かそうと試みていた江副や大沢武志は、カリスマの『リーダーシップ』に置き代われるものを見出す。それは、社員の『モチベーション』だった」。社員一人ひとりに当事者意識を持たせることに成功したのである。

「伊庭野は言う。『江添さんがやろうとしていたのは情報利権の破壊でした』。『リクルートブック』は、優秀な学生を教授のコネで囲い込んで独占していた大企業の利権を破壊した。『住宅情報』は、新聞社が独占していた不動産広告の利権と、新聞やテレビの限られた広告枠を押さえ込む電通など広告代理店の利権を打ち砕いた。利権を破壊されたエスタブリッシュメントの中には、リクルート、そして江副に対する怨念が澱のように溜まっていった」。

「ところが皮肉なことに、情報誌で成功を収めた江副は、より成功するためにエスタブリッシュメントとの距離を縮め、自ら既得権者側の人間になろうとしていた」。「(江副が最大のスポンサーとなっていた)中曽根(康弘)の手引きで『日本の中枢』に入り込んだ江副は、(自社菜園で丹精を込めて育てた)トウモロコシやサツマイモの他に、新たなエスタブリッシュメントへのプレゼントを考えた。のちに、『賄賂』とみなされたリクルートコスモスの未公開株である」。「江副は、子供がお菓子を友達に配るかのように、無邪気に未公開株をバラ撒いた」。「江副は、違法でなければ、既存の道徳律や慣習からはみ出ることを厭わない」。「晩年までならず者の江副とプライベートな付き合いがあった東正任は言う。『江副さんは、寂しがり屋だった』。未公開株をバラ撒いたならず者は、愛されることにあまりにも不器用だったのかもしれない」。

読み終えて、なぜか、大きな溜め息が漏れてしまった。