道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない・・・【続・リーダーのための読書論(71)】
北野武の道徳論
北野武の直截な物言いは、驚くほど真実を衝いている。『新しい道徳――「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』(北野武著、幻冬舎)の結論を一言で言えば、道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない――ということである。「道徳なんてものは、権力者の都合でいくらでも変わる」というのだ。
「半分はカミさんの力というか、当然の権利だろうと思う。この人は、俺が稼いだ金の半分の権利を持っているわけだ。だから、全部渡す。俺が稼いで、カミさんが管理する。それが公平でいいんじゃないか。金の管理が面倒だからまかせているということもあるけれど。俺が管理していたら、たぶん今頃スッカラカンになってるに決まっている。口はばったいけれど、それがいうなれば俺の道徳だ」。
道徳の基盤
「俺たちは、死ぬことを忘れて生きている。いつかは必ず死ぬのに、そのいつかは明日かもしれないのに、自分だけは永遠に生きられるようなつもりで脳天気に毎日を過ごしている。だけど、死から目をそむけることは、生から目をそむけることだ。現代人のモラルが低下したなんてよくいっているけれど、もしそれがほんとうなら、理由はそれだと俺は思う。自分の死をしっかり腹におさめておけば、人生でそう大きく道を誤ることはないはずだ。メメント・モリ(死を忘れるな)は、道徳の土台なのだ」。これは哲学の域に達している。
「夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。俺は心の底からそう思っている」。ここまで割り切れれば、楽なのだが。
「生涯熱中できる趣味があれば、歳をとってからわけのわからない犯罪を犯す確率はかなり減る」。説得力があるなあ。
子どもの道徳
「人間は一人ひとりみんな違う。自分とは違う人間で世界は成り立っている。ただ、ひとつだけ誰にでもあてはまることは、みんな幸せになりたいと思っているということだけだ。『ほんとうの意味で、傷つきたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、他の人を傷つけるのはやめよう』。教室の子どもたち全員に教えていい道徳は、これくらいしかないんじゃないか」。
「子どもに喧嘩をしちゃいけないと教えるなら、大人だっていかなる理由があろうと戦争をしちゃいけない」。ごもっとも。
インターネットの危険性
「(インターネットは)ほとんどの人間にとっては、辞書を開かなくても調べ物ができるっていうくらいの話でしかない。むしろ、図書館に通ったり、辞書を調べたりする習慣がなくなってしまったという弊害の方が大きいかもしれない。・・・結局やっているのは、自分の理解力の範囲で生半可な知識を集めて、世の中に対してやたらと憤ったり、意見をしたりしているだけのことだ。パソコンにかじりついているだけで、世界が変えられるとでも思っているのか。・・・インターネットのおかげで増えたのは、人類全体の知識の量ではなく、自分が世界中のことをなんでも知っていると勘違いして、自分は絶対に正しいと思い込む人の数だ。何が危険といって、こんなに危険なことはない」。同感である。