橋本治特有の考え方の原点を知る手がかり――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(67)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(154)】
●『橋本治という行き方』(橋本治著、朝日文庫)
橋本治という作家がいる。第19回東大駒場祭のポスターの「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という、在学生であった彼のコピーはよく知られている。
橋本の書くものは、小説も、エッセイも、古典の現代語訳も、いずれもかなり変わっていて、面白い。橋本が、なぜ彼特有の変わった考え方をするのかを知る手がかりが、『橋本治という行き方』(橋本治著、朝日文庫)の中にある。
「『思想』というよく分からないもの」に、こういう一節がある。「以前に人を介して『デカルトの現代語訳をやる気はないか?』と問われて、『なんでそんなもん俺がやんなきゃいけないの?』と尋ね返した。昔のフランス語なんか分かんないし、デカルトなんて読んだことがない。私がデカルトに関して知っていることは、『<我思う、ゆえに我あり>と言った人』という、高校生レベルの知識だけだ。初めそれを知った時、『なにそれ?』と思って、『わけ分かんない』と思って、ずーっと時間がたってから、『自分はなんでわけが分かんないんだろう?』と考え直した瞬間、『ああそうか、<自分の頭で物を考えちゃいけない>という時代があったから、そんなことをデカルトは言ったのか』という理解に至った。私のデカルト理解は、それでおしまいである。デカルトに関しては、『我思う、ゆえに我あり』以外のことをなんにも知らないから、それ以上の理解なんかしようがない」。さすが、橋本は本質を衝いているなあ。
「私がなんで『思想』というものをいやがっているのかと言うと、『他人の作った正解』に自分を当てはめたくないからだ。自分に必要なのは『自分の正解』で、『自分の正解』を探すために『他人の作った正解』を参考にするのはいいが、それが下手をすると、『他人の作った正解に自分を無理矢理はめ込もうとする』になってしまう。その結果は、『思想の鉄砲玉』になって、肝腎の『自分』がどっかへ行ってしまう。それがいやだから、あまり『思想』には近づきたくない」。共感できるなあ。
「『本』というもの」では、こんなことを言っている。「『本』というものは、『他人の世界観を目の前にして、それを理解するために自身の世界観を修正する』というような、とんでもなくめんどくさいものでもある。『学ぼう』という意志、『自分はこれを学ばなければならない』と思う謙虚さがなければ、『本を読む』ということは可能にならない。『本を読む』には、そういう厄介さが中心にある」。
さらに続く。「本を読むことがもっぱらに『楽しみ』である人達は、読むことが苦にならないものばかりをもっぱらに読む。そして、『本を読むことは勉強だ』と思う人の多くは、『本を読んで勉強していた過去』ばかりを頭に置く。『私は過去において本を読んで、もう出来上がってしまっているので、今さら本は読まない』という大人は、いくらでもいる。『本』というものは、『異質な世界観と出喰わす衝撃』でもある。その『衝撃』を、『学んで意味のあること』と位置付けないと、本なんか読んでも、なんの意味もない。『本なんか読まなくても大丈夫』と思う人達は、自分の中の『出来上がってしまった世界観』だけで、なんとかやっていける人達なのだ」。この橋本の、「他人の世界観を目の前にして、それを理解するために自身の世界観を修正する」という「本」の定義は、言い得て妙である。私の知る限り、これに優る表現・定義はこれまでなかったと思う。
「つっこまない文化」にも、いいことが書かれている。「私は、兼好法師を『するどいツッコミの人』とは思わない。『常識的であることを身上とする随筆者』だと思う。・・・8歳の兼好法師は、無理をして、父親にしつこいツッコミを入れていたわけではない。ただ、『不思議だなァ、よく分かんないなァ』という思いだけで、『じゃァさ』という質問を繰り返していただけである。子供にとっては、それが自然だったから、その自然さを肯定されて、兼好法師は、『ラディカルなツッコミ型思想家』にはならず、『穏健で等身大の随筆者』になったのだろうと思う。・・・『考えてもいいんだ』という事実は、思考の自由を生む。と同時に、『答えられなくてもいいんだ』という事実は、確定された現実の外側へ出なければならないという強迫観念を生まない――だから、穏健になる。『8歳になる困った息子』を愛する父を見ていると、『それが日本だったな』という気もする」。兼好の父親が兼好を「常識的・穏健・等身大の随筆者」にしたのだという考察は、ユニークかつ鋭い。橋本の面目躍如である。