大切な人が難病に罹ったとき、あなたなら、どうする?・・・【MRのための読書論(52)】
知的障碍から超天才へ
「キニアン先生があのひとたちわぼくのあたまをよくしてくれるかもしれないといった」。
サイエンス・フィクション(SF)『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著、小尾芙佐訳、早川書房、ダニエル・キイス文庫)の主人公、32歳のチャーリイ・ゴードンは、幼児レベルの知能しかなかったが、脳外科手術を受けることによって超天才へと劇的な変貌を遂げる。チャーリイが指導を受けた知的障碍者成人センターの教師アリス・キニアンが「このごろ、あなたとは話ができないのよ。あたしにできるのは、耳をかたむけて、うなずいて、文化的変異でもブール数字でも記号論理学でも、みんなわかったようなふりをすること」だけと嘆くほどの進歩ぶりだ。しかし、先行して同じ手術を受けたアルジャーノンという名のマウスが驚異的な知能を得たのち、短期間のうちにその知能を失っていくのを見て、チャーリイは自分の行く末を知ってしまう。今では、チャーリイとアリスは互いに深く愛し合っているというのに――あなたなら、どうする?
この作品のSF要素は知能指数を高めるための手術という発想だけで、その他は現代の通常の生活が描かれているので、私はSFというより、哀切さが心に染みる心理小説と受け止めている。
夫が突然、記憶喪失症に
「神経心理学者らが言うには、この種の記憶障害にかかると、新しい記憶を取りこむ能力が奪われてしまうのだそうだ。つまり、脳に流れこんでくる情報は、温かな地面に落ちた雪のごとく溶け、なんの痕跡も残さないということだった。話を聞きながら、夫クライヴの症状や行動に実によくあてはまることに気づいた。恐怖のあまり、気絶しそうになった」。
ケンブリッジ大卒で指揮者として活躍中の夫が、ある日、突然、ウイルス性脳炎により海馬が損傷を受け、新しい情報や一時的な情報を記憶する能力がほとんど失われる重症記憶障碍に陥ってしまう。クライヴが見聞きしたことを記憶に留めておけるのは、ほんの一瞬なのだ。夫を心から愛している妻は過酷な運命にたじろぎ、絶望の底に突き落とされる――あなたなら、どうする?
『七秒しか記憶がもたない男――脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで』(デボラ・ウェアリング著、 匝瑳玲子訳、ランダムハウス講談社)は、難病に見舞われた46歳の夫を支えた27歳の妻の17年に亘る闘病報告である。同時に、愛するということ、また夫婦の絆について考えさせられる本である。
夫ががん専門医なのに、妻が肺がんに
「手でつまんでも、指先から滑り落ちてしまうほど小さなリンゴの種。ほぼ、それくらいの大きさであった。妻の右肺に見つかった、こんな小さな影が、決して抜け出すことのできない出来事に私たちを巻き込んでいくとは、このときは想像もしていなかった」。「振り返れば、病院で妻と過ごした一日一日は、私の人生の中で最も充実した、密度の濃い時間だったように思う。死という代償はあまりにも大きかったが、妻と私が分かち合った最後の輝ける日々だった」。
東大を卒業した26歳の研修医が38歳の女性患者に出会う。駆け落ちし、結婚して40年、平和で幸福な生活を送ってきた。子供のいない彼らは、常に二人で行動し、互いに欠けているところを補い合い、人生の困難に立ち向かい、そして人生を楽しんできた。夫はがん専門医として、仕事に打ち込み、国立がんセンター総長になる。妻は夫が責任を全うできるよう支えてきた。夫が定年退職し、今後は国内外をあちこち旅行しよう、二人で好きな絵を描いていこう、と思っていた矢先に、妻が難治性の肺がん(小細胞がん)であることが判明する――あなたなら、どうする?
『妻を看取る日――国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録』(垣添忠生著、新潮社)は、がん専門医でありながら、最愛の伴侶をがんで失った著者の慟哭の書である。一方、妻の死に直面し、自死すら考えた夫がいかにして立ち直ったかの再生の記録でもある。そして、私にとっては、座右に置きたい愛の書となったのである。
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