榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

孫娘と、息子の妻に、アダルト雑誌の山を見つけられた七十歳の男があなただったら・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1942)】

【amazon 『春、死なん』 カスタマーレビュー 2020年8月8日】 情熱的読書人間のないしょ話(1942)

オクラ(写真1、2)、タマスダレ(写真3)、スパイラル・ジンジャー(コストゥス・バルバトゥス、コモススベイケリ。黄色いのが花、赤いのは苞。写真4)、エスキナンサス・ラスタ(写真5)、セイヨウニンジンボク・プルプレア(写真6)、キバナコスモス、ヒマワリが花を咲かせています。サンゴジュが実を付けています。コガネグモの雌を見つけました。

閑話休題、擦れ違いざま、『春、死なん』(紗倉まな著、講談社)に頭をガーンと殴られました。

畠山富雄は、「まるで瞳に油でも塗ったかのように世界がぼんやりと朧げに霞んでいる」ので、眼科医にかかるが、埒が明きません。

「徐々に血肉をそぎ落とすように体力が奪われていくのを感じているうちに、失うものを諦めていくことも増えた。そういった身体の変化により、傍目から見れば、富雄の七十歳の老体からはすでに抜け落ちたと思われているであろう性欲が、枯渇どころか、実際には持て余すようになっている。その性への衝動は、盛りの時期に比べれば劣るものの、今なお並々ならぬものである。海老のように丸まった背中を少しばかり伸ばすと、ぴきき、と骨が悲しく鳴るのを感じつつ、悲観に耽る前に今宵の為の選別へと意識を向け、パネルマジック並みに修整加工された美女たちの表紙を眺めた。細胞の全てが震えながら若返る高揚感が生まれてきて、ようやく決意した。一人の客が店内に入ってくると、富雄の身体はスイッチを押されたようにDVD付きの一冊を手に取った。紙パックの緑茶をアダルト雑誌の上に載せるようにして、レジでその日二度目の会計を済ませた」。

六年前に妻・喜美代を亡くしています。

「だが凹んだ個所に、違う素材のものを流し込んでみても、本来のなだらかな心の表面に成型することはとても難しい。見た目には特に支障がなくても、どこか触り心地の悪さを感じてしまう。アダルト雑誌のページの間に挟まれた出会い系のサイトや結婚相談所の広告を見ても、富雄の心が揺れ動くことはなかった。孤独に性欲が重なりあい、膨脹していく下腹部だけが、別の器官のように機能する。そこには生きている現実ばかりがとことん突き付けられ、しかしながらやり場のない虚しさは波間に漂い、本当はどこへ行くべきなのか、その方角すら見失ったままである。己という船がつける港はどこにもないという絶望の中で、奇跡的な上陸は期待しないようにしていたのだ」。

「富雄の部屋の隣には息子とその家族がいる。それだけを聞けば、環境的に恵まれ、孤独死の心配もないと、羨ましがられることだろう。しかし現状は、一人だった。そしてその時間を、どのように処理したらいいのかわからずにいる。スーパーとコンビニに一人で立ち寄る夕暮れ、商店街を活気づける家族連れや、若者の姿に送る、羨望と落胆と嫉妬のまなざし。ただただ退屈な時間を規則的に継続し、そしてただただ消費していく。世間から、富雄が謳歌していると思われている自由は、実際のところ、富雄にとって、人との繋がりがあり忙しなく機能している日々や、世界のめまぐるしさに参加もできずに孤独をふくらます、手放したい時間でもあった」。

「それまでずっと目に張り付いていた膜がうろこのようにどんどん剥がれ落ち、ぼやけていた家の中にある一つ一つの物の輪郭が、本来のあるべき姿を現し始めた。世界が、どんどん、はっきりとフォーカスを合わせるように輪郭を現していく。そこに浮き上がってきたものを見てまさか、と富雄は呆然とした。家の中の物を、黒色の小さな物体がびっしりと覆いつくしていた」。

干支四周も離れた孫の静香と、その母であり息子の妻である里香の眼前で、富雄の知られたくない実態が暴かれてしまいます。「重なり合い、貝をはりつかせたまま散らばったアダルト雑誌の山を眺める。隆起したように盛り上がる女の尻。甲高く脳天を突き破るように響く甘い喘ぎ声。シーツを摘まむ女の指先。猥褻なシーンが断片的にちらつき、砂粒のように富雄の顔にぶつかり散らばっていく。その山自体が、富雄の性と孤独の積み重ねでもあった」。

「俺は無意識のうちに、生きていること自体に膜を張っていたというのだろうか。見たくないものを見ないようにするために。知ることで、自分を傷つけないようにするために。そうやって、自分を守り続けていたのだ。本音が胸の奥から聞こえると、一気に富雄の肩の力が抜けた」。

「富雄は振り向いて、家の中に呆然と立ち尽くしている二人を見つめた。あれほどまでびっしりと覆いつくしていた黒い群れはこの家からすっかりいなくなっていた。どこに消えてしまったのか。今度は誰に、まとわりつくのだろうか」。

妻に死なれた七十歳の老人の心理、生理、行動を、これほど生々しく、これほど赤裸々に、これほど寓意的に描き切ったのが、二十五歳の女性だとは。