榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

地の底で半裸で働く坑夫と女坑夫の過酷な世界・・・【山椒読書論(68)】

【amazon 『炭鉱(ヤマ)に生きる』 カスタマーレビュー 2012年9月11日】 山椒読書論(68)

画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる――地の底の人生記録』(山本作兵衛著、講談社)は、私たちの心に強烈な印象を刻みつける画文集である。

著者の山本作兵衛は、1892(明治25)年に福岡・筑豊で生まれ、7歳の頃から50余年に亘って炭鉱労働者として働いた。1958(昭和33)年に炭鉱事務所の夜警になったのを機に、「炭鉱(ヤマ)の姿を記録して孫たちに残しておこう」と絵筆を握り、1000枚を超える説明文付きの絵を描き溜めていったのである。

その絵は、プロの画家の絵とは異なり、描かれるモチーフが見る人に伝わるように、部分を拡大したり、内部の断面が円で囲ったもう一つの画面に描かれたり、絵で説明のつかないところは文章で補ったりといった工夫が随所で凝らされている。このため、坑夫や女坑夫たちの生活・風俗が生々しく迫ってくるのだ。

「もともとが自分の子孫に描き残しておこうと思ってはじめたことですから、他人に見せようなどとは夢にも想像せず、また見せられるようなしろものでもありません。貧乏に生まれて知恵もなく、一生をようするに社会の場ふさぎとして過ごしてきた一人の老坑夫のまずしい記録にすぎません。したがって、ただひたすら正確にありのままを記すことのみを心掛け、それ以外のことは考える余裕もありませんでした。これから50年、あるいは100年の後、孫やその孫たちが、こんなみじめな生活もあったのか、と心から思えるような社会であってほしい。それだけがせめてもの願いであります」と、著者は、どこまでも篤実、謙虚である。

どの絵も興味深いが、一番、衝撃的なのは、地底の坑内で半裸で働く坑夫と女坑夫の姿であった。「ツルバシを振るって(石)炭を掘るのは、年季の入った坑夫で先山(さきやま)といい、掘りだされた炭をセナ(掘った石炭を担いて運ぶための小さな籠)やスラ(掘った石炭を曳いて運ぶための大きな籠や箱)で運びだして炭函に積みこむ坑夫は、後山(あとやま)と呼んでいます。先山と後山の一組を一サキといい、夫と妻、父と娘、あるいは兄と妹など、多くは血縁の組み合わせでしたけれど、かならずしもそうとばかりはかぎきません。どちらか一方が病気その他で働けないために、他人同士の組み合わせも生じます。そんな場合、先山と後山がいつとはのう夫婦になってしまうこともしばしばでした」、「それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります。坑内にさがれば後山として、短い腰巻き一つになってスラを曳いたり、セナを担うたり、命がけの重労働です。まっくろになって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など、主婦としての仕事が山ほどまちかまえています。男は昇坑するとすぐに汗と炭塵を洗いおとし、女房のいそがしさをよそに、刺青をむきだして上り酒。昔のヤマの人はだれもそれを当然のこととして怪しまず、家事の手伝いをするような愛妻家はいませんでした。手伝いどころか、自分は仕事にもさがらず酒とバクチにうつつを抜かし、女房だけに働かせるような男もおりました」と、説明されている。

「生活苦もさることながら、日々にヤマの人間を脅かしつづけるのは、死の恐怖であります。ひとたび坑内にさがると、時々刻々が死に神との戦いであります。いつなんどき、落盤するか、ガス爆発するか、出水するか、あるいは炭車が逸走するか、だれ一人として予測できる者はありません」という過酷な環境を生き抜かなければならなかったのである。