榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

空海と司馬遼太郎が渾然一体となっている・・・【山椒読書論(155)】

【amazon 『空海の風景』 カスタマーレビュー 2013年3月10日】 山椒読書論(155)

司馬遼太郎の作品はほとんど読んだつもりでいたが、『空海の風景』(司馬遼太郎著、中公文庫、上・下巻)が未だだったことに気づき、慌てて手に取った。

そこには、お馴染みの司馬遼太郎の世界が広がっていた。それも、従来の作品よりも徹底された状態の世界が。司馬は、「あたりまえのことだが、私はかれ(空海)を見たことがない。その人物を見たこともないはるか後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起状を浮かびあがらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した」と言っていたのに、書き上げたものでは空海と司馬が渾然一体となっているのである。司馬の前世が空海だったのか、空海が司馬として生まれ変わったのかというぐらい一体となっている。

司馬を真似て断定的に表現するならば、空海というのは、相当に嫌な性格の持ち主である。少なくとも、近くにいて楽しい人ではない。その最大の被害者は、真面目一方で、先輩でありながら後輩の空海に謙虚に教えを乞うた最澄であった。空海の勝手なライヴァル視に遭って、最澄は本当に気の毒である。

「空海の食えぬところは、そういうところにもある」、「もっともそのあたりはすばしこい空海のことである」、「最澄は空海にくらべ、ぎらつくような独創性に欠けるところがあった」、「空海は後年、最澄に対してつねにとげを用意した。お人好しの並みな性格ではとうてい為しがたいような最澄に対する悪意の拒絶や、痛烈な皮肉、さらには公的な論文において最澄の教学を低く格付けするなどの、いわばあくのつよい仕打ちもやってのけた」、「そういう利き目の鋭どさが、空海の身上の一つでもあった」、「空海は淡泊な男ではなかった。というより並はずれて執念ぶかい性格をもっていた」、「かれ(空海)に終生つきまとううさん臭さは、かれが人間の世の中を緩急自在に操作する才質をしたたかに持っていたことと無縁ではない」、「空海という人物のしたたかさは、下界のそういう人情の機微の操作にあったといえる」、「空海はうそをいう人ではなかったが、ただ謙虚な人ではなく、むしろ自讃する人であった」、「空海はそういう論理をまもるということについては、厳格、忠実なだけでなく、ときに守るために必要な政治臭をもつという点で狡猾なほどであった」と、著者は空海の強かさに繰り返し言及している。

「密教が勃興してまだ歴史があたらしいということは、日本から遠景としてそれをみれば、それ以前の仏教よりもさらに発展した形態であるという印象になるであろう。のちに空海の競争者の立場におかれる最澄ですら、自分が(唐から)持ちかえった天台宗の体系に自信をもちつつも、しかしその体系に密教が入っていないことを悩み、一方空海のほうは、『密教こそ仏教の完成したかたちである』として最澄の体系に対抗し、しかもその自信は終生ゆるがなかった」。空海は、インドにも中国にも見られないほどに論理的完成度の高い密教を作り上げた世界唯一の人物だというのが、著者の結論である。純粋密教というのは、空海が確立したもの以外はその後ほどなくインドでも中国でも消えてしまい、チベットではすぐさま変質し、今ではどこにも遺っていない、空海の思想のみが遺ったというのだ。

また、「かれ(空海)がみずから感得した密教世界というのは、光線の当てられぐあいによってはそのまま性欲を思想化した世界でもあった」と、著者は踏み込んだ表現をしている。

類い稀な論理化能力、優れた劇的構成力、鋭い政治的感覚を持つ空海が、超人的な精神と論理を懸命に駆使して、インドにも唐にもなかった「真言宗」という密教を理論的に構成し、確立したのである。真言密教という豪華絢爛たる壮大な体系を樹立したのだ。強かな性格だったからこそ、空海は「悪魔的なほどに複雑な論理を構築する男として歴史に登場する」ことができた、と著者が結論づけている。

なお、密教については、下巻で詳細に説明されている。