榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

大人のための鎌倉歴史散策の参考書・・・【山椒読書論(161)】

【amazon 『鎌倉の寺社122を歩く』 カスタマーレビュー 2013年3月18日】 山椒読書論(161)

京都、奈良もいいが、鎌倉もなかなか魅力的である。特に、首都圏からだと日帰りで行けるので助かる。『鎌倉の寺社122を歩く』(槇野修著、PHP新書)が出版されたので、鎌倉散策が一段と楽しくなりそうだ。

この本は旅行のガイドブックの役割も果たしているが、鎌倉の歴史・史跡散策のための参考書といった趣である。

「寺社を紹介するとき、必ずふれるのが、創建の年代と、神社ならば祭神と建立者であり、寺院ならば開山と開基である。その寺社にどのような歴史があるのか、創建にかかわった人物はだれなのか、といった事柄が案内の基本となる。なお『開山』とは、寺院(山は寺の意)を開いた僧侶、または高名を請われてその位置についた名僧などと理解していいし、『開基』は、寺院創建時の経済的支援者、つまりスポンサーと定義していい」と、勉強になる。

例えば、鶴岡八幡宮については、「鎌倉駅からの人の流れを見ていると、駅前ロータリーから『小町通り』に入り、菓子屋、飲食店、土産物店、雑貨店など小さな店舗を眺めながらのんびりと鶴岡八幡宮へ歩く人たちが圧倒的に多く、また若宮大路へ出て、同じように建ち並ぶ店のようすを確かめながらむかう人もいる。意外に段葛(若宮大路の中央部分を一段高くした道の中の道)を通る人は少ない。ここはぜひ将軍か執権になったつもりで悠々と段葛の高みを歩いて、三の鳥居へむかってほしいと思う」といった具合である。

そして、「下拝殿から本宮(上宮)へあがる大石段がみとおせて、多くの人はさっそく石段を昇りはじめるが、下拝殿の右手へまわると、頼朝が由比郷から、八幡神を遷座したもともとの社である『若宮』(下宮)の重厚な社殿の前に出る」と、歴史好きにはありがたい説明が付されている。

さらに、「初夏の日に一度、朝9時前に境内に入ったことがあって、そのときは太鼓橋から下拝殿、大石段まで人の姿はなく、石段の端をリスが駆けおりているほどだった。鎌倉の大寺社へおもむくには、朝早い時間が格別であろう」と、案内が行き届いている。

「眼下に下拝殿(舞殿)の屋根を見て、その先に三の鳥居、そして若宮大路が街を左右に区切るけしきが由比ヶ浜へむかってつづいている。頼朝が計画し、実行した武家の首都の根本がよくわかる眺望である」と、著者の歴史感覚が息づいているのだ。

「ここからは鶴岡八幡宮のごく近くをめぐって、源頼朝の墓のほか、観光客があまり足を運ばない小さな神社も含めて紹介していく」。観光客が振り向きもしないような小さな寺社に、時として、思いがけない風趣が潜んでいることを知る私には、この著者の姿勢は嬉しい限りである。

「十二所神社から杉本寺へ滑川沿いを歩く」の項を読んでいて、「苔むした杉本寺の石段」の写真を目にしたら、無性に行きたくなってしまった。「金沢街道の北側に位置する杉本寺だが、寺の前にまったく余地はなく、街道からすぐに長く急峻な石段が本堂の建つ平坦地に上ってゆく。途中で拝観料をおさめ、仁王門からさらに、苔むした石段がつづくが、ここは通行禁止である。その石段をよく見ると、一段ごとすべて先端が削られて丸くなっている。その丸味にこそ、当時の古い歴史があらわれているといえる。・・・石段をくだり、金沢街道に出れば、鎌倉駅へもどるバス停はすぐ右手にある」。ああ、堪らない。

「境内の佇いや諸堂の風趣は奈良や京都の寺社におよばないとはいえ、わが国がはじめて手にした庶民の都を、歴史上の事柄や人物に寄り添ってめぐることは、『大人の散策』として格別な愉しみがある」という著者の謙虚さも、この書の魅力となっている。