ロゼッタストーンを解読した天才の栄光と悲哀・・・【山椒読書論(175)】
「ロゼッタストーンはシャンポリオンによって解読された」という通り一遍のことしか知らなかった私だが、『ロゼッタストーン解読』(レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ著、木原武一訳、新潮文庫)によって、3つの興味深い事実に触れることができた。
第1は、ジャン・フランソワ・シャンポリオンがフランス革命時代の言語学者でありながら、激動の歴史に巻き込まれ、波瀾万丈の人生を送ったこと。
シャンポリオンが生まれたのは1790年、フランス革命の翌年であった。革命の動乱の中で幼少期を過ごし、その10代の頃、ナポレオンが帝位に就き、20代半ばの時、ルイ王朝が復活し、41歳で世を去ったのは、1830年に起こった七月革命の2年後である。本書にはシャンポリオンとナポレオン・ボナパルト、ルイ18世、シャルル10世、ルイ・フィリップなどとの直接的な接触もかなり詳細に描かれているので、目まぐるしい歴史の変転を身近に感じることができる。
第2は、今から200年も前だというのに、現代も顔負けの熾烈なヒエログリフ解読競争が展開され、勝者であるシャンポリオンがライヴァルたちから執拗な嫌がらせを受け続けたこと。
最大のライヴァル、17歳年上のトーマス・ヤングを初めとする多くのヒエログリフ研究者たちの誹謗、中傷、業績横取りといった未練がましい、潔くない態度に憤りを感じるのは私だけだろうか。
第3は、ロゼッタストーン解読はシャンポリオンの天才と努力によるものであるが、その陰に、彼の生涯に亘り、彼を励まし、支え続けた12歳年上の兄、ジャック・ジョゼフ・シャンポリオンの存在があったこと。
神聖文字とも呼ばれる古代エジプトの絵文字、ヒエログリフは紀元前3000年以上前から紀元4世紀の初めまで使われていた。しかし、エジプト人がギリシャ文字を使うようになると、ヒエログリフは忘れ去られ、解読できる者がいなくなってしまった。ヒエログリフ解読を飛躍的に前進させたのが、ロゼッタストーンの発見であった。ナポレオンのエジプト遠征中にナイル川河口のロゼッタで発見された石には、3種類の異なった文字が刻まれていた。上段にヒエログリフ、中段に後にデモティクと呼ばれることになる文字、下段にはギリシャ文字である。同一の内容が3種類の文字で表記されたものと推定され、ここにヒエログリフを解読する有力な手がかりが登場したわけである。
ライヴァルたちより遅れてこの解読レースに加わったシャンポリオンが、貧困や病弱といったハンディキャップと闘いながら、見事、ヒエログリフの謎の解明に成功したのは、1822年、31歳の時のことであった。その瞬間、彼がその喜びを真っ先に知らせようと向かったのは、200m先の兄の勤め先であった。「シャンポリオンはそのわずかな距離を全速力で駆け抜けていた。論文とノートと図版をかかえ、狭くて暗い道を学士院めざして突っ走った。体の不調からまだ十分には回復せず、また、極度に興奮していたためもあって、兄の部屋に飛び込んだときには息もたえだえだった。机の上に論文を投げ出し、彼は叫んだ。『わかったよ!』と」。
シャンポリオンは兄弟愛に篤く、家庭を大事にする人であった。
シャンポリオンが長年に亘り難解とされてきた解読に成功できたのはなぜか。ヒエログリフは表意文字であると同時に表音文字でもあることに気づき、ヒエログリフのアルファベットを発見したことで道が開けたのだ。シャンポリオンのヒエログリフ解読によって、それまで知られていなかった古代エジプトの歴史、文化、社会などの状況が明らかになったのである。
私たちの知的好奇心を十分に満足させてくれる一冊である。