榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

植民地時代のブラジルの奴隷制の衝撃的な実態・・・【山椒読書論(198)】

【amazon 『大邸宅と奴隷小屋』 カスタマーレビュー 2013年6月5日】 山椒読書論(198)

大邸宅と奴隷小屋――ブラジルにおける家父長制家族の形成』(ジルベルト・フレイレ著、鈴木茂訳、日本経済評論社、上・下巻)は、ブラジル国民論を論じた学術書であるが、そこに記された「ブラジル人の性と家族生活における黒人奴隷」の実態は衝撃的である。

「奴隷制がブラジルへ伝わったのはポルトガルからであったが、そのポルトガル自体がすでに悪徳で充満していた。奴隷に対し、奴隷主は、『家畜の頭数を増やそうとする者のごとく、妾腹の子供の数を増やす』ために性的堕落を促進した。奴隷主の経済的利益から生み出されたこのような道徳的雰囲気の中で、奴隷制――モーロ人奴隷であれ、黒人奴隷であれ、インディオやアジア人奴隷であれ――に性的堕落や性的衝動の解放、放縦を助長する以外のことを期待できようか。何が望まれていたかといえば、女性の子宮が赤ん坊を孕むことであった。黒人女性がムレッケ(黒人の子供)を生産することであった」。

「われわれすべてのブラジル人は、思春期に入るか入らないかのうちに、ねばねばした色欲の虜になったと感じるが、そうした色欲をもたらしたのは黒人であるという説を裏づける正当な証拠はない。早熟な官能への目覚め、13~14歳であらゆるブラジル人男性をドン・ファンにしてしまう女性への渇望は、『劣等人種』との接触やその血ではなく、ブラジル社会の形成を支えた経済・社会制度に起因する。おそらく若干ではあれ気候、つまり早くから愛に目覚めさせると同時に、あらゆる努力の継続から逸らせてしまう、淀んで濃密な生暖かい空気にも。さまざまな社会で気候が性道徳に影響を及ぼしていることは否定できない」。本書は、「(ブラジル人の)貧弱さや怠惰さをただちに白人男性と黒人女性、ポルトガル人男性とインディオ女性との永遠に呪われた性交渉の結果と考える」人々への反論なのだ。

植民地時代の白人家庭におけるムレッケについて、こう報告している。「揺りかごから離れると直ちに、子供には同性で同じ年頃の一人の奴隷が、遊び相手というよりもむしろ玩具として与えられる。二人は一緒に成長し、やがて奴隷は子供がやりたい放題をする相手となる。奴隷はあらゆることに使われ、さらにいつも叱られたり苛められたりする」、「彼らはニョニョー(お坊ちゃま)の馬であり、殴られ役であり、友達であり、遊び相手であり、奴隷であった」。

幼少時のこのような人間関係が、成人の心理に投影する。「農園主よりもその夫人の方が奴隷を残酷に扱うというのは、奴隷制社会で一般に見られる事実である。・・・美貌のムカーマ(女奴隷)の眼球をくり抜かせ、デザートのときにシロップ漬けの菓子の容器に入れ、鮮血の中に浮かべて夫の面前に運ばせたシニャー・モッサ(若奥様)。嫉妬か不愉快のためか、15歳のムラータ(混血の女性)の小娘を年配の放蕩者に売り払うように命じた、すでに老境に達していた男爵夫人。その他、長靴の踵で女性奴隷の歯を打ち砕かせたり、乳房を切り取らせたり、爪を剥がさせたり、顔や耳を焼かせたりする夫人たちがいた」。まさに虐待の限りを尽くしたのである。

サトウキビ農園主や農園主夫人の暮らしは、奴隷たちに担がせたハンモックの上で展開された。「奴隷主が休息したり、睡眠をとったり、居眠りをしたりする静止したハンモック。厚手の布やカーテンで仕切られ、旅行や散策に出かける奴隷主を乗せた動くハンモック。奴隷主が女を抱くと揺れるハンモック。奴隷主は黒人に命令するためにハンモックを離れる必要はなかった。その場で会計係や礼拝堂付き司祭に手紙の代筆を命じ、親類や代父とバックギャモンに興じた」。