「本の編集」ではなく、「本棚の編集」とはどういうことか・・・【山椒読書論(211)】
『本の声を聴け――ブックディレクター幅允孝の仕事』(高瀬毅著、文藝春秋)で、「本を編集」するのではなく、「本棚を編集」するブックディレクターという仕事が存在することを知った。
本書は、「彼が本を並べると、本棚が輝き始める」といわれるブックディレクター・幅允孝(はば・よしたか)の仕事の実例集である。彼が書棚作りを手がける場所は、病院、美容室、銀行、大学生協、レストラン、ブックカフェ、書店、スポーツショップ、研修所、空港、雑貨店、美術館、家具店、会社のエントランス、デパートなどと、実に多岐に亘っている。
「ブックディレクターは、本についての知識があるだけでは務まらない。無限といってもいい膨大な量の本の中から、依頼されたテーマ、独自に考えたコンセプトに沿って選ぶ『選書の力』と、並び替える『編集する力』、本棚全体を通して何かを『表現する力』が必要だ。デザインする能力や、アートに関しての感性までも求められる、いままでありそうでなかった仕事なのである」。
「本を読むという行為は、効率を求めることや、目的だけを求めることとは違うからだ。もっと無目的なことだったり、一円の得にならなくとも、面白いから読むのである。それはこれが欲しいから買ったというような、ネットによる一点買いとは違う心の作用だ。なんとなく本屋に入り、何を買うか目的もなく棚を眺めているうちに、自分では予想もしなかった本やタイトルに出会い、自分の内側に眠っていた好奇心や、冒険心が刺激される。そのときに手が伸びた本がその人にとって『ふさわしい』本だと幅は考える」。全く同感である。
「『ただ単に本を選び、本棚に並べていくのではなく、<その一冊>が最も輝くように棚を演出し、POPやサイン(標識・看板)計画など、視覚のコミュニケーションの領域まで考慮して本を置いていかないと誰も手に取ってくれない』と幅は言う」。
幅の具体的なアイディアの一部を挙げてみよう――「クッキングという棚に『食』にまつわる小説、たとえば開高健や檀一雄の本を置く」、「村上春樹や倉橋由美子の小説を、旅の本棚に並べてはどうか」、「骨組みはノンフィクション、肉付けに小説」、「安藤忠雄の写真集や随筆は、建築のジャンルを逸脱している。安藤さんが建てた建物について書いた本は東京歩きのコーナーにどうだろう」。
幅のジャンル分けは、普通の図書館や本屋のそれとは異なっている。「紙切れを短冊のように細く千切ったものに、テーマを書きこむ。『コミュニケーション』『言葉のちから』『仕事とは』『未来』『地球の環境』『お金について』『善なるもの』『家族』『CHANGE』『若者たち』『日本発』・・・」。
私にとっては、著者による松岡正剛と幅の比較論が非常に興味深い。「松丸本舗は、まさに松岡版ブックディレクションであり、松岡の個性がいかんなく発揮されていた。面白いのは、同じ本を用いたディレクションでありながら、幅の作った棚とは、明らかに違うことだった。松岡の棚は、テーマごとにゆるがせにしない『網羅性』があった。『知』が、前面に出ていて、本好きにはたまらない棚であることは間違いなかった。一方の幅の棚は、本と本との間に『遊び』や『落差』『飛躍』があり、その振幅や、意外性によって、こちらの意識が動いていく感じがある。・・・松岡のそれが、真っ向勝負の『本格派』の本棚だとすれば、幅のそれは、ポップで、遊び感覚に溢れた『遊学派』の棚だった。『硬』に対して『軟』という言い方もできるかもしれない」。
本好き、本棚好き、本屋好きには、何とも魅力的な本である。