古代の我が国は出雲王朝が治めていたという仮説・・・【山椒読書論(268)】
【amazon 『葬られた王朝』 カスタマーレビュー 2013年8月27日】
山椒読書論(268)
かつて、『神々の流竄(るざん)』(「古事記のプロデューサー=不比等」説)、『隠された十字架』(「法隆寺=聖徳太子鎮魂の寺」説)、『水底の歌』(「柿本人麻呂=流罪刑死」説)などで、梅原猛の古代史のロマンの世界にどっぷりと浸かった人間としては、『神々の流竄』は間違っていたので、今回、『葬られた王朝――古代出雲の謎を解く』(梅原猛著、新潮文庫)を書いたと言われては、読まないわけにはいかないではないか。
梅原は『神々の流竄』の内容を全否定しているわけではなく、「出雲神話なるものは、大和に伝わった神話を出雲に仮託したものである」と論じた部分を修正したいというのだ。「『古事記』に記された出雲神話が決して『古事記』編纂者が勝手に作り上げた神話ではなく、古くから日本の朝廷で語り継がれていた古(ふる)物語であることを証明しようと思う」。
スサノオが始め、その六代子孫のオオクニヌシが繁栄させた出雲王朝は、確かに存在していたというのだ。「『古事記』を虚心に読むかぎり、出雲王朝がヤマトをも支配したことはほぼ確実であると思われる。カムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇は、日向からはるばると遠征して、ヤマトを占領した。しかし占領軍が権力を保つには、かつてこの国を支配したオオクニヌシ一族の血を引く女性をめとり、その女性との間の子を次の天皇にすることが必要であった」。
著者は、出雲地方に新しく出土した考古学的遺物によって、出雲王朝、出雲神話の存在を検証しようと試みる。「第三章ではその(出雲)神話がいかに考古学的遺物によって裏付けられるかを論じた。私の想像力が勝ちすぎて、いささか筆が走りすぎたところがあるかもしれないが」と本人も自覚しているとおり、いささか主観的過ぎるが、久しぶりに梅原ロマンを味わうことができた。