無法者の気分をたっぷりと味わえる小説・・・【山椒読書論(272)】
『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』(ジェイムズ・M・ケイン著、小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を何年ぶりかで読み返したら、久しぶりに、七面倒臭いルールや世間のしがらみを忘れて、俺も無法者の気分をたっぷりと味わうことができたぜ。
このハードボイルド・タッチの小説には、初めから終わりまで性と暴力が目いっぱい詰まってるが、それだけでなく、愛の物語でもあるっていうのが、俺がこの作品を気に入ってる理由さ。これは、飽くまで少数意見かもしれないけどな。
おっと、小鷹信光の巧みな翻訳に乗せられて、主人公(語り手)の言葉遣いの影響を受けてしまったようだ。
食い詰めた流れ者の「俺」が雇われることになったのは、カリフォルニアのどこにでもあるような街道沿いのサンドウィッチ屋兼給油スタンドだった。俺がその店を気に入ったのは、コーラという名の若いセクシーな女房がいたからだ。「あの女がたまらなく欲しくて、食いものさえ胃におさめておけなかったのだ」。脂ぎったギリシャ人の亭主・ニックに嫌気が差していた彼女も俺を気に入り、俺たちはすぐにいい仲になってしまった。「翌日、ほんのしばらく、あいつと二人っきりになった。おれは、あいつの足めがけて拳を強く突き上げた。ひっくりかえるほど、強く。『すごい手をつかうのね』 あいつはクーガー(ピューマ)のようなうなり声を洩らした。そんなあいつが、おれの好みにぴったりだった。『ご機嫌は、コーラ?』 『最低よ』 そのときから、おれはまたあいつの匂いを嗅ぎはじめた」。「木立の奥で、おれは車をとめた。ライトを消すよりも早く、あいつは両腕をからませてきた。おれたちは、たっぷりやった」。やがて邪魔になった亭主を殺してしまおうと俺たちは完全犯罪を企てる。
法廷で、「あいつは席を立ち、カッツ(弁護士)が机の前につれていった。わきをすりぬけて行ったとき、もうちょっとで体が触れそうになった。こんな大騒ぎの真最中に、鼻をクンクンさせるのもどうかと思うが、いつもおれの血を騒がせるあいつの匂いを嗅いだ」。
展開するストーリーの、そして法廷での相次ぐどんでん返しは、サスペンス満点だ。
「(あたしたちは)二人一緒に、山の頂上に立ってたわ。とってもごきげんな高いところにね、フランク。あの晩、あそこで、あたしたちは欲しいものすべてを手にした。あんな気分は初めてだった。あたしたちはキスをして、たとえなにが起ころうと、いつまでも失わないように封をした。世界中のどんなカップルも得られないものを手に入れた。そしてそのあとは、ただすべり落ちていっただけ」。「おまえとおれ。ほかにはだれもいない。愛してる、コーラ。だが、愛ってやつは、恐怖がまじると愛じゃなくなってしまう。憎しみにかわるんだ」。「おれはほかのものは何も欲しくなかった。あいつだけが欲しかった。これはめったにあることじゃない。男をそんな気持にさせる女はざらにはいないもんだ」。「あいつを愛していた、本当だ、あいつのためなら死ぬのもいとわなかったろう」。そして、死刑執行官たちが近づいてくる足音を聞きながらのフランクの台詞で物語は幕を閉じる。「おれと、コーラのために祈ってくれ。たとえどこでだろうと、おれとコーラが一緒になれることを」――これだけ並べれば、愛の物語でもあることを信じてもらえるだろうか。
『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』は4度も映画化されている。1942年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(DVD『郵便配達は二度ベルを鳴らす』<ルキノ・ヴィスコンティ監督、マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ出演、PSG>)は、舞台がイタリアに移され、ビスコンティ流のネオ・リアリズムに貫かれている。
1981年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(DVD『郵便配達は二度ベルを鳴らす』<ボブ・ラフェルソン監督、ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング出演、ワーナー・ホーム・ビデオ>)は、コーラを演じたジェシカ・ラングの強烈なエロティシズムが堪らない、刺激的な作品に仕上がっている。