名作と見抜けなかった編集者たちの断り状の数々・・・【情熱的読書人間のないしょ話(185)】
散策中に、緑色のカリンの実を見つけました。地面には黄色いカリンがたくさん落ちています。ミカンの実は、未だ濃い緑色です。アキアカネが自分たちの天下だと言わんばかりに飛び交っています。
閑話休題、『まことに残念ですが・・・――不朽の名作への「不採用通知」160選』(アンドレ・バーナード編著、中原裕子訳、徳間文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)には、驚かされると同時に励まされます。
多くの名作が、編集者から丁重に、あるいは露骨に出版を断られていたというのです。
パール・バックの『大地』の場合は、「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません」と切り捨てられています。
アンネ・フランクの『アンネの日記』は、「この少女は、作品を単なる『好奇心』以上のレベルに高めるための、特別な観察力や感受性に欠けているように思われます」。
D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』は、「ご自身のためにも、これを発表するのはおやめなさい」。
ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は、「遺憾ながら、イギリスの児童文学市場にまったくふさわしくないという理由で、この本の出版を見合わせることを全員一致で決定いたしました。非常に長く、いささか古くさく、なぜこれがアメリカで好評を博しているのか、まったく解せません」。
ジェイムズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、「・・・あなたが、いずれ作家として高収入を得んために良質な作品を書く努力をおはじめになるのは、時間の問題かと思われます」。
アガサ・クリスティーの『スタイルズ荘の怪事件』は、「たいへん興味深く、いくつか良い点もございますが、いまひとつ弊社の傾向にそっているとは申せません」。
アーサー・コナン・ドイルの『緋色の研究』は、「連載にするには短すぎ、読み切り物としては長すぎる」。
ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』は、「貴殿はご自身の小説を、秀逸とはいえ、はなはだ余分な枝葉末節に埋めてしまわれた」。
ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は、「文句なしにおもしろいアイディアなのですが、十分に練り上げられているとは思えません」。
トマス・ハーディの『テス』は、「・・・不穏当なほど露骨だ」。
マルセル・プルーストの『スワンの恋』(『失われた時を求めて』の第1巻該当部分)は、「ねえ、きみ、わしは首から上が死んじまってるのかもしれんが、いくらない知恵をしぼってみても、ある男が眠りにつく前にいかにして寝返りを打ったかを描くのに、なぜ30ページも必要なのか、さっぱりわからんよ」。
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』は、「不快な要素が含まれている」。
編集者というのは、なぜ、こんなにも見る目がないのでしょう。自分が冷たく突き放した作品が、他社から出版されてベスト・セラーとなっていくのを目撃した編集者は、どんなに悔やんだことでしょう。一方、作家を志している人たちには、本書は大いなる励ましとなるでしょう。