榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

久しぶりに、上質の恋愛小説を堪能することができた・・・【山椒読書論(555)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年5月16日号】 山椒読書論(555)

30年目の待ち合わせ』(エリエット・アベカシス著、齋藤可津子訳、早川書房)を読み終わって、思わず、深い溜め息をついてしまった。

1988年、ソルボンヌ大学の学生で20歳のアメリとヴァンサンはソルボンヌ広場のカフェで出会うが、約束した初めての待ち合わせにアメリがかなり遅れたため、そのまま、会えずじまいになってしまう。互いに惹かれ合っていたのに。

10年後に二人は再会するが、ヴァンサンが既に結婚していたため、何事もなく別れてしまう。その後、アメリも結婚するが、ヴァンサンもアメリも結婚生活にひどく幻滅させられる。

初めて会ってから20年後、二人はエッフェル塔の下で待ち合わせる。

「アメリは携帯を取りあげ、ヴァンサンにメールを送った。SOSのサインのようだった。会って話したかった。人生について、この悲惨な人生について」。

「ちょうどヴァンサンはアメリに携帯メールを書こうとしていた。こう言いたかった。愛ははかなくて永遠、瞬間的でずるずる引きずり、壮大でさもしく、姑息で寛容、強烈で凡庸、やさしくて残酷、真実であり嘘、熱狂であり分別、率直さでありごまかし、自由奔放であり権謀術策、愛撫であり乱暴であり、高貴で堕落していて、豪華で貧相、よろこびと悲しみ、幻想と現実、希望と絶望だ。くぐりぬけてきた変遷をつたえたかった。笑いが涙、言葉が沈黙、会話がうらみつらみへ、歌声が怒号、深みが見せかけ、恍惚が無感動、独占欲から厄介ばらいしたい欲求へ、甘い夢から悪夢、欲望が嫌悪、快楽が苦痛、官能のよろこびが怖気、相手を想う妄想が相手を殺す妄想へ、理想があきらめ、夢が現実、切っても切れない仲が呪縛へ、いとしいひとから兄そして憎い兄へ、恋人から母、妹、いとこ、いとこからおとなりさんへ、市役所から裁判所へ、ポエムが罵倒へ、愛のささやきがわめき声、わめき声が弁護士の手紙へ、ロマンティシズムがシニシズム、行動が服従、感動が幻滅、驚きが陳腐、あっという間に過ぎた時間が沈滞へ、ひとりになるなどありえなかったのが生きるための必要へ、個人から一般、独占から分配、信頼感が恐怖感、崇拝が見くだし、瞠目が軽蔑、いたわりが破壊、幸福が不幸、絶望へ。ひょっとして、こんなことはまったく愛ではないのかもしれない。愛とはなんの関係もないのかもしれない。情緒の問題でも、エロティックな接触でも、友好的なものですらないのかもしれない。たんなる時間の問題だった。出会ったとき、妻がたまたま余分な愛情をもちあわせ、愛するひととの出会いを夢見、子供を欲しがっていた。時機とか巡り合わせのような些細なことで人生が左右されるのに、頭でっかちのせいで大仰に『愛』などと言っているだけの話。とりわけ彼女にこう言いたかった――何度でもひとを愛することはできるけど、真の愛はひとつだけ」。

「愛してる、ずっとまえから、最初の視線のすれちがい、沈黙、しなかった口付け、最初のさよなら、会えずじまいの待ち合わせ、かけなおさなかった電話、最初の誤解、最初の旅立ち、最初の結婚、最初の子供、最初の離婚から、ずっとあこがれ、ふれるのもはばかられる手の届かない存在だった。知りあって20年? 20年秘められた愛、手をふれ、いま氷解しようとする20年の他人行儀、20年にわたる視線、ランチ、堂々めぐり、言いそびれ、そして20年にわたる願望が怒涛のようにほとばしって大海となり、いま距離が解消することに感きわまって泣きたくて笑いたくて、彼女を見つめ、彼女を糧に、彼女のために彼女とともに、彼女をとおして生きたくて、つまり、彼女のまえで飲み食いするのではなく、彼女を飲み食いして、彼女の生きる姿を見る感動を糧に生きたかった」。

「重大な瞬間だった。だがアメリは待ちわびていた言葉の意味をろくに考えようともせず、相手の姿も見えず、声も聞こえず、わけがわからなくなっていた。彼への愛は20年このかた日々生きつづけ、ふくらみ、震え、おののき、畏れ、照り、翳り、ため息をつき、やきもきし、いら立ち、飢え渇きながらも死んでいなかったが、幻滅とまではいかなくとも迷うことをやめていた。だから、燦然と輝くエッフェル塔の消灯に乗じて姿をくらまし、息を切らして心臓が破裂するくらい全速力で走った――パジャマにスニーカーだったから」。

「2018年5月20日、アメリがソルボンヌ広場のカフェにつくと、ヴァンサンがテラスにいた」。「知りあって30年、本心を口に出せるようになるまで30年。結婚、離婚、喪失、子供、ときにははるかかなたへの数えきれない旅行、成功、失敗、苦悩、希望、失望、砕けちった子供のころの夢、色あせた子供時代。なんとか彼を忘れようとしてきた、耐えがたい不在、孤独、畏れと重苦しさ。そしてハラハラしながら待っている感覚、つねに強いられていた緊張状態は、彼に会う日しかおさまってくれなかった。疎遠になっていた歳月は秘められた愛の歳月、それが今日、広場で彼に見つめられたとたん幕をおろし、30年にわたる夢と願望が怒涛のようにほとばしって大海となり、ふたりをへだてる壁は彼に腕にふれられるや倒壊し、今回は不注意からふれたのではなかった。このなにげないしぐさで圧倒的な幸福感がわきあがり、生まれて初めて生きていると実感した」。

愛とは何か、結婚とは何か、幸せとは何か、そして、年齢を重ねることに、どういう意味があるのか――を考えさせられる作品である。