明治時代の志ある青年たちを熱狂させた本・・・【山椒読書論(329)】
明治時代の志ある青年たちが夢中になって読み耽り、大きな影響を受けたという『西国立志編』(サミュエル・スマイルズ著、中村正直訳、講談社学術文庫)を、久しぶりに読み返してみた。
これは、サミュエル・スマイルズのベストセラー、『セルフ・ヘルプ(自助論)』を中村正直が翻訳したものだが、この本の何が、当時の青年たちをそれほど駆り立てたのだろう。
渡部昇一が解説でこのように述べている。「この本が一度世に出ると、当時の日本で総計百万部は出たといわれるほどの売れ行きを示した。維新は成功したが、具体的な生き方の方針がまだ明らかでなかった日本人にとって、それは儒教に替わりうる道徳と思われたのである。『日本文学大辞典』<新潮社>の『中村正直』と『西国立志編』の2項目は、吉野作造博士の書いたものといわれるが、その中に次のような要領をえた言葉がある。『影響感化の大なること福沢翁の著訳と並んで空前と称せられる・・・福沢が明治の青年に智の世界を見せたと云い得るなら、敬宇(けいう。正直の号)は正に徳の世界を見せたものといってよい』」。
現代の読者にはいささか退屈な内容かもしれないが、外国の恵まれない境遇の青年たちが艱難辛苦を乗り越え、自らの工夫・努力によって、遂に人生の成功を勝ち取るに至るという具体的な事例集は、同様の環境にあった当時の青年たちの心を強く捉えたことだろう。
「みずから助くるの精神」は、こう始まっている。「『天はみずから助くるものを助く』(Heaven helps those who help themselves.)といえることわざは、確然経験したる格言なり。わずかに一句の中に、あまねく人事成敗の実験を包蔵せり。みずから助くというこごは、よく自主自立して、他人の力によらざることなり。みずから助くるの精神は、およそ人たるものの才智の由りて生ずるところの根元なり。推してこれを言えば、みずから助くる人民多ければ、その邦国、必ず元気充実し、精神強盛なることなり。他人より助けを受けて成就せるものは、その後、必ず衰(おとろ)うることあり」。
「ディズレーリのこと」は、「ディズレーリ、また勉強学習の力によりて、盛名を世に得たる人なり。そのはじめはしばしば敗北したる後に、功績を奏せり。(世人の誹笑を受けても)ディズレーリ廃沮せずして、工夫を続(つ)ぎたり。ディズレーリは、尋常少年の一度敗績すれば、すなわち退縮して気を喪い、歎息して悶を発するがごとくならず、かえってますます艱苦して功を用いたり。常に心を留めて、己の短所を改め、聚聴の時の儀観を学び、言語の方を習練し、またつとめてパーラメント(議会)の典故(故事)事実を記憶す。かくのごとく積久の勉力を経て、まさにはじめてその志を達しけり」といった具合である。
「ジュームズ・ワットの勤勉、ならびにその心思を用いて習慣となれること」は、「ワットは、最も勉強労苦せる人と称すべし。その生平の行跡を観るときは、絶大のことを成し、絶高の功を収むるものは、天資(生まれつき)、大気力あり大才思ある人にはあらずして、絶大の勉強をもって、極細の工夫を下し、慣習経験によりて、技巧の知識を長ずる人にあることを知るべきなり。この時にあたり、ワットよりすぐれて知見の広き人は、あまたありしかども、勉強を居恒(ふだん)の習いとして、およそその知るところのものを、有用の実物練習に運転すること、ワットのごときものは、一人もなかりけり」と記されている。
「リヴィングストン、アフリカに至ること」では、「リヴィングストンは、家貧しかりしゆえ、わかき時、製棉工場に行き、工事をなせり。はじめて得たる工銭をもって、ラテン文法書を買い、夜中にこれを学ぶ。また博く群書を究め、紡機の上に書を置きこれを読むに至る。かくのごとく勉励して、有用の学問を多く胸中に積み貯え、また医学会所に行き、刀圭(医業)を学び、またあるいは上帝道の講義を聴く。かくのごときの費用は、まったく工場に在りてもうけ得るものによりてこれを支え、他人よりは一銭の助けをも受けず。・・・(アフリカでの)伝道の暇には、みずから水道を掘り家屋を建て、田地を耕し牛羊を牧し、原住民に職業を教えけり」と、読者を励ましている。