娘から見た井上陽水とは・・・【山椒読書論(397)】
40年前から、私は井上陽水の歌の熱烈なファンである。タイトルが好き、歌詞が好き、曲が好き、歌い方が好きなのだ。「とまどうペリカン」「飾りじゃないのよ 涙は」「いっそセレナーデ」「なぜか上海」「ダンスはうまく踊れない」「夢の中へ」「ジェラシー」「リバーサイド ホテル」「ワインレッドの心」などなど、しょっちゅうCDを聴いている。
その陽水の娘のエッセイと聞いては、『長い猫と不思議な家族』(依布<いふ>サラサ著、祥伝社)を読まないわけにはいかないだろう。
著者の正直さに、好感が持てる。「私は、若くして結婚をしました。19歳で子供ができて、結婚したのです」。「今では本当に仲良し井上姉妹ですが、仲良くなったのは実はほんの5年前くらいのこと。それまでは正直妹が疎ましくて仕方がなかった。妹と仲良くする意味が分からなかったんです。しかし転機が訪れます。私が離婚して、他の人を好きになり、恋をして、結局大失恋をして、人生でひどく傷心していた25歳の時、毎日、『この悲しみを話せる人が誰もいない、誰もいない、自分が悪い』と泣いていた時。話す人がいなくて、ふと妹に話をしました。妹のおかげで私の傷心は癒えました。それだけでなく、妹が大好きという気持ちに気づかせてくれた大失恋に、感謝すらしてしまう心境になったのです。人って変わるものですね」。「恋はこりごりと思っていましましたし、結婚ももうしないでいいと思っていたので、(2歳年下の)彼と付き合っていても、聞かれもしないのに誰に対しても、『結婚はしないよ!』と無駄に言っていました。(一人娘と)福岡に引越してきて2年、そろそろ家族になろうと思っています」。
「でも、家族ともなると『セリ(母)さんて素敵』と言ってばかりはいられないんです。悪気のないわがままを言って家族を振り回し、困らせることも少なくない。家族が困るのは仕方ないとして、周りの方にも同じようにわがままを言ってご迷惑をかけているんじゃないかしら? と、心配もしたりして」。
娘から見た陽水は――。「父は、完全なるアーティスト気質で、話をしていても難しく考えていたり、悩んでいたり、塞いでいることだってある。でも私はその父の難しい話が好きだったし、魅力を感じていました」。
「父は、完璧なものより、少し未完成なものに魅力を感じる傾向があります」。
「父は作家の友人も多く、異業種の人の作品やその人の人生に刺激を受けることが多いようで、その延長線上で自分とは違った人種、生き方をしてきた人に興味があるようなのです。ざっくりと言えば、人間観察が好きなのだと思います」。
「父はボブ・ディランを尊敬しています。彼の曲の歌詞は、驚いてしまうくらい完璧に韻を踏んでいて、父もよく彼の曲を聴きながら、『すごいんだよなぁ、この<Like A Rolling Stone>の歌詞の韻の踏み方』と感心していました。父からすると、身の回りの国の名前、駅の名前、場所の名前さえも全てが音楽につながっていくことなのです。おそらく父の頭の中には、興味を惹く言葉、響きの面白い言葉が私の想像もつかないほど、たくさんストックしてあり、そして常に、さらに新しい、まだ誰も気づいていないような、素敵な言葉の可能性を探し続けているのだと思います」。共感できるなあ。
「両親から言われた言葉の中で、私の印象に残っている教え。セリさんの教えは『たくさん感動しなさい』。陽水さんの教えは『たくさん泣きなさい』。私にはふたりの教えがとてもバランスがとれているように思えます」。
井上家は――。「井上家にとって、家族でお茶を飲んだり、ごはんを食べるということは、イコール家族で顔を合わせ話すということなのです。他の家族のように、両親が毎日家にいるわけではなかったけれど、そのかわりに井上家では『家族で話す』ということが根付いていました」。「仲良しこよしすぎるわけでもない。離れすぎているわけでもない。絶妙なバランスを保ちながら、肝心なところでしっかりつながっている。それが井上家のスタイルといえるでしょう」。
「たくさん悩んで成長することで、それが自分の力になり財産になる。たくさん悩む人は、幸せなのだ」。この率直に綴られたエッセイを読み終わった時、私は依布サラサのファンになっていた。