ミヒャエル・エンデとは、どういう人物だったのか・・・【山椒読書論(427)】
『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと――時間・お金・ファンタジー』(池内紀・小林エリカ・子安美知子ほか著、新潮社・とんぼの本)は、『モモ』(ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波少年文庫)の作家、ミヒャエル・エンデに、さまざまな角度から光を当てている。
ドイツの山間の小さな町で生まれ、決して順調であったとは言えない人生を送ってきたエンデは、イタリアのローマ近郊に移り住み、『モモ』の執筆に取りかかる。「移住したミヒャエルは、それまでミュンヘンでの生活の中で彼を取り巻いていた、周囲の期待や嫉妬がもたらすさまざまな喧騒から解放され、明るく暖かな南イタリアの雰囲気にすっかり魅了された。涼風の吹き抜ける美しい庭の木陰でワインを飲みながら、隣人となったホッケら友人たちと談笑するリラックスした生活は、彼の創作意欲を自然に掻き立てた。生活に落ち着きを得たミヒャエルは、この5年来ずっと温めてきた小説『モモ』を完成させようと決意する」。
「主人公の少女モモの住処は、ローマの古代遺跡を思わせる『廃墟の円形劇場』に設定された。人間から時間を盗む『時間どろぼう』に時間を奪われてしまった町の人々に、もう一度時間を取り戻そうと戦う孤児の少女モモの冒険を描くファンタジー小説『モモ』を書き上げた」。「『モモ』は著者自身によるセピア調の挿絵とともに出版された」。
「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない」。『モモ』の一節である。
「本作(『モモ』)の内容について、エンデは『ゆとりの時間をもとう』というような教訓話として短絡的に読まれることを否定している。また近年においては、作中で扱われる『時間』が『貨幣』の暗喩であり、現代の資本主義経済システムに対する警鐘であるとの解釈も多いが、そうした啓蒙的要素を超えた豊かな幻想的イメージの世界こそ本作の真髄であり、読者に多義的な読解を許す奥深さが魅力でもある」。
エンデと日本の関係の深さには驚かされる。「(19)77年の初め、ミヒャエルは初めて日本を訪れている。かつてバイエルン放送局で映画評の仕事をしていた時代、黒澤明の作品など優れた日本映画に触れていたほか、禅などの東洋思想にも関心を持っていたミヒャエルにとって、日本はかねてより興味の対象だったのだろう。東京と京都を中心に約半月間滞在し、能や歌舞伎を鑑賞したり、弓道場を訪問したり、禅寺で老師との対談などを行った。こうした体験は、この頃芽生えかけていた物語の構想に大きな影響を与えた。また、この旅の案内役として、後にミヒャエルの妻となる翻訳家・佐藤真理子とも知り合っている」。
エンデの自筆画がたくさん収録されていることは本書の魅力の一つだが、私が一番心を惹かれたのは、『はてしない物語』の、床から天井まで本がぎっしり詰まっている「コレアンダー氏の古書店」の画だ。