榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

超優良バイオ企業・林原を経営破綻させたのは誰だ・・・【山椒読書論(452)】

【amazon 『破綻』 カスタマーレビュー 2014年6月5日】 山椒読書論(452)

医薬品業界に長く身を置いてきた関係で、超優良な研究開発型のバイオ企業である林原(はやしばら)の2011年2月の破綻報道に強い衝撃を受けたことを、3年以上経つというのにまざまざと思い出す。

優良企業がどうしてこういうことになってしまったのだろうと、ずっと疑念を抱いてきたが、『破綻――バイオ企業・林原の真実』(林原靖著、ワック)を読んで、疑問が氷解した。

「30数年前、林原生物化学研究所が世界で初めてインターフェロンの量産化に成功する。インターフェロンは人の白血球から作るタンパク質の一種で、抗ウィルス薬、抗ガン剤として用いられる。海外では遺伝子組み換え技術による大量生産方式が確立されていたが、この方式で作られたものは副作用が激しい、という難があった」。「トレハロースやイナターフェロンだけでなく、プルランもマルトースも、すべては林原しか作ることのできない世界のオンリーワン商品ばかりである。林原は単なるデンプン加工業者から世界に飛躍する独自のバイオ企業へと変貌を遂げていたのである」と、社長の弟で当時、専務の要職にあった著者の林原靖は振り返る。

「好調とはいえ、わたしには早期に解決すべき課題が二つあった。一つは、順次株式の公開をめざしていた子会社のいくつかに業績の伸び悩みがあったこと。もう一つは銀行の借入金が依然として多いという経理部門の問題であった」。

「林原のメインバンクは中国銀行だが、10年前までは住友信託銀行だった。住信は長銀(長期信用銀行)との合併を断り、UFJ銀行との合併にも失敗するなど苦労も多く、林原との関係も年々後退し、融資額も二番手になっていた。一方、中銀は地域の中小金融が大合併した、財務内容も堅実な優良銀行だが、いかんせん地方銀行の域を出ず、規模が小さい。金融技術的な能力も抜きん出ているというわけではなかった。住信もメガバンクと比べると一ケタちがうほどの規模で、単独での生き残りはむずかしい、といわれていた。とはいえ、林原と両銀行とは大変深い関わりがあった」。

「林原は巨額の不動産や株式を保有し、さらに長年の研究開発による5000件もの特許や実用新案、膨大な知的財産を所有している。おそらく欧米並みの基準で時価評価すれば、巨額のものになったはずだ。おまけに世界に二つとない貴重な美術品を多数所有している。含み益も多いし、子会社の非上場株式価値だって莫大なものだ。また同族会社は経営者個人と会社が表裏一体で、経営者の個人財産をいつでも担保に入れることができる。もちろん価値のあるものが多数あった。赤字でもないので事業価値は膨大にある。しかし、悲しいかな銀行は疑心暗鬼のかたまりになっていた」のである。

「林原が会社更生法申請に至った経緯は、一般的事例と比べ、あまりに特異なものであった。通常、かつて堅調に推移していた会社の業績が、時代のニーズの合わなくなったり、ライバルとの競合に負けたりして徐々に業績が悪化し、ついには赤字が累積して債務超過になる。その結果、銀行から見限られ、やむなく会社更生法の申請に至る――。これがふつうのケースだ。こうなると、債務の切り捨てによって黒字化させるほかに手はない。しかし、林原のケースはまったく正反対なのである。バブル崩壊後であっても、日本全体の伸び悩みを横目で見ながら、右肩上がりに黒字が拡大していた。<このまま進めば、順調な拡大発展が期待できる>。わたしはそう確信していた。この時期の林原は、国内外ですこぶる評価が高く、破綻するなどとは誰も想像できなかった」。

なぜ会社更生法申請に至ってしまったのか、そして、社長と専務が「仕事も収入も肩書きも、すべてを一瞬にして失い、会社の外に裸同然で放り出されてしまった。当然のこと、株主権も剥奪され」、のみならず、最終的には「兄とわたしの個人財産はきれいさっぱり持ち去られ、手元には毎日の生活に使う最小限の生活用品以外には何もない、というほとんどからっけつ状態になり果ててしまった」のはなぜか、その経緯が時系列で語られていく。

最終ページ近くに至り、著者の胸中が披瀝される。「この破綻劇のキーとなる役者はいったい誰だったのか。その理由は何だったのか――わたしはいま、はっきりと確信している。破綻劇の幕を開けてしまったのはメインの中国銀行と、サブの住友信託銀行だと。彼らの一連の対応が大きな誘因であった。メインの中国銀行は住信の岡山支店長に呼び出されたときから、あるいは西村あさひ法律事務所を巻き込んだときから、必要もなく実現性も少ない再建ボタンの掛け違いをし、また不甲斐ないことにリーダーシップをほとんど発揮できず、結果的に破綻劇の幕を開けてしまった。それではADRはなぜ壊れたのか。原因は二つある。一つは住友信託銀行の対応だ。他行が口を揃えて糾弾したとおり、住信の対応は場当たり的でかつ感情的とも思える強引なものだった。かつてのメインバンク、当時のサブ・メインバンクでありながら、土壇場になると他行を尻目に平気で詐害行為におよぶ。また他行から集中攻撃を受けても彼らの『出口論』を決して変えようとはしなかった。さらに中国銀行との間で、いったんはADRでいくことを了解しながら、実際はそれを反故にするような行動に出ている。これらの動きには一貫した筋道が見出しにくく、戦略的なものはほとんど感じられなかった。二つ目の原因は、銀行間だけの話し合いのはずが、参加者の意図的なリークによってマスコミに漏れ、大々的に報道されてしまったことだ。おそらく、どこかの銀行が将来に尾を引きかねないADRの負担をきらい、あえて話を壊したのではないかとわたしは考えている。それともう一つ挙げるとすれば、東京を拠点にする都市型銀行、いや中央の官僚組織や学識者、知識人やマスコミも含めて、いずれもオーナー的体質の企業を本能的にきらっていることだ。オーナー企業と聞くと、何か旧態依然とした負のイメージを抱いてしまうようで、そうした感情もベースにあったように思う」。

この不条理な事例に対する私の見解は、①社長・専務が普段から何でも相談できる有能な弁護士を確保しておくべきであった、②銀行からの借り入れ一辺倒でなく、資金調達を多様化しておくべきであった、③メイン・バンク、サブ・バンクであろうと、いざというときは得意先より自行の利益を優先させるということを重々承知しておくべきであった――というものだが、あまりにも当たり前過ぎて、赤面の至りである。

著者は、「もうこれで、誰が何と言おうと、自分の財産は何ひとつ残っていない。住友信託銀行様がきれいさっぱり持ち帰ってしまった。ほんとうにきれいさっぱり。みごとなものである」、「住友信託銀行の狡知は舌を巻くばかりだった」、「彼ら(銀行と法律事務所)の立場に立って、わたしなりに更正の理想のシナリオを作ると、やはり、こうならざるをえない。『(旧)経営者は違法まみれの極悪人だが、会社は殊の外すばらしかった。銀行は完全な被害者で、経営者を丸裸にしておっぽり出してしまえば、残るのはすばらしい会社のみ。巨額を投資しても借金ゼロで、(林原を手に入れる)新経営者は驚異的手腕だと高い評価が受けられる・・・』」と痛烈な皮肉を利かせているが、「あんなに元気な会社だったのに、あれよあれよという間に会社更生法を申請するはめになってしまった。ほんの2カ月ほど前には、夢にも思わなかった結末である。わたしは別世界にいるような、心ここに在らずといった心持ちで、しばし呆然と立ちつくしていた」著者としては、これでも言い足りないであろう。この実録を読み終えて、著者に劣らず、私も怒りに駆り立てられている。