独裁者と対峙した音楽家たちの系譜・・・【山椒読書論(294)】
中川右介の著作が出版されると、なぜか目を通したくなってしまう。私にとってこの世で一番興味があるのは「人間」であり、中川が著すものは、クラシック関係であれ、歌舞伎関係であれ、どれも「人間と音楽」、「人間と芸能」を生き生きと描いているからだと、自分を納得させている。
この意味で、『国家と音楽家』(中川右介著、七つ森書館)も期待を裏切らぬ力作であった。
「国家と音楽家――本来ならば対峙するものではない。だが、二十世紀という『戦争と革命の世紀』は多くの音楽家を国家と対峙せざるを得ない局面に追い込んだ。ある者は妥協した。ある者は屈服した。ある者は対立を避けて国外へ出た。闘い抜いた人もいるし、死の一歩手前にあった人もいれば、故国喪失者となった者もいる」という著者の言葉に触れただけで、ワクワクしてしまうのは私だけだろうか。
登場する政治家は、ヒトラー、ムッソリーニ、フランコ、スターリン。ケネディ、ニクソンといった面々であり、彼らと対峙した音楽家は、フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、カザルス、ショスタコーヴィチ、クーベリック、コルトー、ミュンシュ、ルービンシュタイン、バーンスタインたちである。
ヒトラーに翻弄されたフルトヴェングラーとカラヤンは、このように描かれている。「史上最も藝術に理解があり、藝術を保護し支援した政治家は、おそらく、アドルフ・ヒトラーである。彼の政権ほど、クラシック音楽とオペラを優遇した政権はない。それゆえに音楽家たちは、戦後、ナチ協力者として批判された。はたして、音楽家たちに罪はあったのかなかったのか。この音楽好きの独裁者と、世界的名声を得ていた音楽家たちは、どのような関係にあったのか」。
「『ナチ音楽家』としての批判を一身に浴びる指揮者、それがヘルベルト・フォン・カラヤンである。実際に、ナチ党員だったのだから、言い訳はできない。しかし、本当にカラヤンが『一番悪い奴』だったのであろうか」。
ムッソリーニに徹底的に抵抗したトスカニーニの章は、こんな書き出しで始まる。「イタリアはオペラ発祥の地だ。二十世紀初頭、この歌劇場(世界最高峰の歌劇場として知られるミラノのスカラ座)に君臨していたのが、トスカニーニだ。彼はオペラの改革者であり、歌劇場の独裁者でもあった。独裁者でなければ改革ができないというのもまた事実である。とくにオペラやオーケストラ音楽のように、何十人、ときには何百人もの共同作業で作っていく藝術の場合、統率者が必要だ。指揮者、演出家は独裁者であることを求められる。そして歌劇場の独裁者が国家の独裁者と対峙できたのは、イタリアが音楽国家だったからだろう」。
フランコに「音楽の沈黙」という大業で立ち向かったカザルスは、信念の人・反骨の人であった。「戦後の西側世界がフランコ独裁体制をなし崩し的に受け入れていくなか、スペイン人として最後まで抵抗した人――チェロ奏者にして指揮者でもあった、パブロ・カルザスが選んだのは、演奏しないことであった。音楽を演奏することによって何かを訴える音楽家は数多くいるが、演奏を拒否することで訴えたひとも何人かいる。しかしカザルスが演奏を拒否したのは、もっと広い範囲だった」。
亡命せざるを得なかった音楽家として、ショパンが取り上げられている。「ポーランドは、多くの名ピアニストを生んだ国だ。そのポーランドの名ピアニストの系譜は、亡命者の系譜でもある。亡命者の多くが愛国者である。その国が嫌いで亡命するのではなく、愛するがゆえに亡命する。そして、望郷の念を抱きながら生涯を送る。彼らはなぜ愛する国を出て行き、なぜ帰国しなかったのか。音楽史上最初の亡命者として記憶されるべき人物は、ショパンであろう」。
国家権力と音楽家との関係は、国家+電力業界+重電業界という権力共同体が無理矢理推し進めようとしている原発政策と国民との関係を、我々に思い起こさせる。