榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

敗戦国・ドイツの復興を成し遂げた政治家・アデナウアーに学ぶ・・・【山椒読書論(478)】

【amazon 『アデナウアー』 カスタマーレビュー 2014年8月17日】 山椒読書論(478)

アデナウアー――現代ドイツを創った政治家』(板橋拓己著、中公新書)は、政治家ならびに政治に関心・懸念を抱いている人たちにとって、3つの理由で必読の書である。

第1に、名はともかく、その事績についてはあまり知られていないアデナウアーという政治家がいかに考え、いかに行動したかを知ることができるからである。第2に、ナチ政権に睨まれ政界を追われたアデナウアーがどう耐え忍び、どのようにして復帰したかが、逆境脱出の一つのモデル・ケースたり得ているからである。第3に、第二次世界大戦の敗戦国であり、ホロコーストという大罪を犯したドイツの復興を成し遂げた彼のリーダーシップが、同じ敗戦国であり、周辺国家に多大な迷惑をかけた日本の参考になるからだ。

「1933年、ドイツは、43歳の若くて威勢はよいが、いささか神経質な一人の男の手に委ねられた。その男が統治した12年間で、ドイツは大戦に突き進み、世界を惨禍に巻き込みながら、自らも破滅した。1949年、大戦で廃墟と化し、占領と分断を経たドイツの運命は、今度は73歳の『老人』に託された。その男が統治した14年間で、ドイツの西半分は復興し、まがりなりにも自由民主主義体制を整え、かつての敵国とも緊密に結ばれた。この二人の『宰相』の対比は、ドイツでしばしば語られるものである。前者はもちろん、ナチ党党首にして第三帝国の指導者アドルフ・ヒトラー(1889~1945)、そして後者が、本書の主人公であるドイツ連邦共和国(西ドイツ)初代首相コンラート・アデナウアー(1876~1967)である」。本書は、格調あるこのような文章で始まる。

「当初は敗戦国として主権を奪われていた西ドイツは、アデナウアーの首相在任中に、『経済の奇跡』を起こし、『繁栄』を享受するまでにいたり、さらに国際社会にも復帰することができた。・・・きわめて乱暴に言えば、戦後日本における吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人らの役回りをすべて担ったような存在なのである」。アデナウアーは日本の首相4人分の仕事をこなしたというのだ。

「アデナウアー時代は近現代ドイツ史における大きな転換点をなしており、その遺産は現在の統一ドイツをも規定している。・・・この転換や基盤創出の意味内容を一言で表すならば、それはドイツの『西欧化』である。この場合の『西欧』とは、イギリスやフランスのような現実のある特定の国を指すのではなく、一つの価値共同体としての『西欧』である」。著者の「一言で表す」方法が、我々の理解を助けてくれる。

この「西欧化」は、●内政における自由民主主義体制の定着と、●外交における「西側選択」――の2つによって成り立っている。「アデナウアーは、東西冷戦という国際情勢を背景に、国内のさまざまな異論を排して、『西欧』を決して裏切らない『西を向き続けるドイツ』を築き上げたのである。歴史家クラウス・ヒルデブラントが言うように、これは『ドイツ外交のまったく新しい伝統』であった」。外交の重要性を熟知していたアデナウアーは、全く新しい外交スタイルを生み出したのである。

「重要なのは、アデナウアー時代の西ドイツが選択した国是、すなわち内政における基本法体制と、外交における西側路線は、1990年以降の統一ドイツにも引き継がれたことである」。基本方針を断乎として堅持したアデナウアーなかりせば、後のドイツ統一は違う形になっていたかもしれない。

「アデナウアーは、物質主義と権力崇拝の蔓延が行きつく果てとして、ナチズムとスターリニズムを同一の範疇に位置づけたのである。こうした敵に対し、アデナウアーが守ろうとするのが、個人の尊厳と自由である。『個人の人格は、実存および序列において国家に先行する』。国家とは、民族などにではなく、個人に奉仕すべきものなのである」。アデナウアーのこの基本理念を、日本の政治家たちは熟読玩味してほしい。

「1951年9月27日、アデナウアーは連邦議会で、のちに『歴史的』と形容される演説を行った。西ドイツ首相が、『ドイツ民族の名において』犯された『言語を絶する犯罪』を認め、反ユダヤ主義的煽動に対しては刑事訴追で厳しく闘うという保証と、ユダヤ人に対する『道徳的・物質的な補償』を約束したのである」。このアデナウアー演説が、ドイツの国際的な信用回復への重要な一歩となったのである。

アデナウアーが首相を辞任するのは87歳の時であり、東西ドイツが遂に統一を実現するのは、アデナウアーが91歳で死去してから20年余り後の1990年10月3日のことであった。