原敬の全体像が見えてきた・・・【山椒読書論(556)】
原敬(たかし)のことをもっと知りたくて、『真実の原敬――維新を超えた宰相』(伊藤之雄著、講談社現代新書)を手にした。
著者は、原は近代日本の最高のリーダーの一人と高く評価している。「原は、交通網の整備にとどまらない日本の大改革を立案し、実行した。第一次世界大戦によって形成される新しい秩序に対応して、列強や中国との外交関係の再編、高等教育を中心とした教育機関の拡充と研究の充実など、列強との経済競争に負けないための国際・国内環境を整備したのである。原を先頭に政府が整備した体制を利用し、各企業も自律的に、自立心を持って創意工夫し、組織改革や技術・機械の導入を図る。こうして日本の行き詰まりを打開しようというのである」。
著者の原敬観は4つにまとめることができる。
●第1――原は、木戸孝允、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文や、30代になると政治権力を有するようになった明治天皇らが、協力して達成した明治維新と近代国家形成を受け継ぎ、その究極の目的を実現すべく尽力した。原は、維新の目標の完成を目指したのである。
●第2――原は第一次世界大戦中から大戦終了後に形成される新しい国際秩序をほぼ正しく予測し、それに適応する構想を展開させ、原内閣で本格的に実施し始めた。原は、他の政治家に先駆けて、イギリスに代わってアメリカが台頭し、世界をリードすることを予測していたのである。
●第3――原は、公利という現代の公共性につながる考えを有していた。原は、国家と国民の関係について、国家から国民をある程度自立させるべきと考えていたのである。
●第4――原は、母・リツ、中江兆民、陸奥宗光、伊藤博文から影響を受けた。
当初、原と伊藤博文の仲はしっくりいっていなかった。「原は、山県ら藩閥官僚勢力を打破し、イギリス風の政党政治を日本に確立することで、より公共的な国家を作ろうとした。その過程で、元老伊藤の妥協的行動を、政友会総裁としての原理に忠実でない、と批判的に見た。しかし、内相として山県閥の強さを身に染みて感じ、また日露戦争を体験することによって、それまでつかみきれていなかった伊藤の洞察力の深さと視野の広さの本質を理解できるようになり、伊藤への評価を高めたのである。原は、もう一回り大きくなったのだ」。
「伊藤博文や山県有朋という例外的な人物を除き、従来の首相が十分に統制できなかった軍部や宮中を、原は法律の改正によってではなくインフォーマル(非公式)な形で統制し、イギリス風の政党政治に近づけたのである。・・・このまま政治への原の影響力が継続すれば、原は軍や宮中へのインフォーマルな統制を、憲法以外の法改正や整備により、法の支配の下での統制に変えることができたであろう。そうすれば、原のような大物政治家がいなくても、より安定した政党政治が日本に展開した可能性がある」。
「ところが、原が暗殺されたことで、近代日本の様々な可能性が奪われてしまう」。近いうちに、東京駅丸の内南口に残されている原の暗殺現場を見に行きたくなった。