とにかく女だけはせいいっぱい、いたわってあげなされ・・・【山椒読書論(820)】
【読書の森 2024年9月20日号】
山椒読書論(820)
宮本常一の『忘れられた日本人』所収の「土佐源氏」の原形をなす作品『土佐乞食のいろざんげ』(青木信光編、美学館、大正・昭和地下発禁文庫『好いおんな』(6)所収)を読んでみた。
土佐の80歳を過ぎた盲目の元博労の「わし」が語る、15歳の時の後家とのいきさつ、20歳の時の役人の嫁さんとのいきさつ、庄屋のお方さま(奥様)とのいきさつ等々は、性器の俗語が頻発するだけでなく、ねっとりとした性愛表現の連続である。
しかし、これほどあけすけに描写されると、じめじめしたいやらしさが感じられないから不思議である。
「どんな女でも、やさしくすればみんな肌をゆるすもんぞな」。
「女ちゅうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持になっていたわってくれるが、男は女の気持になってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはせいいっぱい、じぶんをほっていたわってあげなされ」。