榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

貧乏作家と古書店員との心温まる20年に亘る書簡集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(48)】

【amazon 『チャリング・クロス街84番地』 カスタマーレビュー 2015年3月31日】 情熱的読書人間のないしょ話(48)

最近になって漸く写真を撮ることの面白さに目覚めた私ですが、写真撮影は人生に似ていると痛感しています。どちらも、これはと思ったチャンスは逃してはいけない、そして、納得できるものが手に入るまで諦めてはいけない――という2点です。我が家から歩いて3分の住宅街のど真ん中にソメイヨシノの400mほどの並木があります。満開の桜に見惚れていたら、妙に物狂おしい気分に襲われてしまいました。

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気持ちの昂りを鎮めるため、書斎の書棚から『チャリング・クロス街84番地――書物を愛する人のための本』(ヘレーン・ハンフ編著、江藤淳訳、中公文庫)を取り出してきました。

ヘレーン・ハンフというニューヨークに住む本好きの女性と、ロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書店・マークス社の社員であるフランク・ドエルとの間で交わされた往復書簡集です。1949年10月5日に、ハンフからマークス社御中に送られた最初の手紙は、欲しい古書のリストを同封した事務的なものに過ぎませんでした。

両者の間で何度も事務的な手紙のやり取りがあり、マークス社の担当者がフランク・ドエルと自分の氏名を初めて署名したのは、1通目の手紙が出されてから2か月後のことでした。

古本好きな貧乏作家のハンフと、ハンフの難しい注文にも何とか応えようと骨を折る真面目な書店員・ドエルとの間に、書物を愛する者同士の友情が芽生えていきます。

ある時のハンフの手紙に、こういう一節があります。「ニューマンの本を一日中机の上において、ときどきタイプライターを打つのを止めては手を伸ばし、さわってみたりしています。・・・追伸――『ピープスの日記』、在庫があります? 冬の夜長に読みたいのです」。これに対するドエルの返信の一節。「ご返事おそくなりまして失礼いたしました。じつは私、1週間ばかり町を離れておりましたので、ただいま手紙の返事書きに追われて大わらわのありさまです。・・・今のところ、『ピープスの日記』の在庫はございませんが、そのうち1冊見つけてさしあげましょう」。

うかつにも、ハンフに抄本を送付してしまったドエルの手紙の一節。「まずはじめに、ピープスの日記のおわびを申しあげなければなりません。正直申しあげて、じつはうかつにも、ブレイブルック版はピープスの日記を全部収録してあるものとばかり思っていたのです。ですから、お気に入りの個所が見当たらなかったとき、あなたがどんなにがっかりなさったか、ほんとうによくわかるような気がいたします。こんどこそ、ほどよいお値段のものを心がけておくようお約束いたします。お手紙にありました個所が収められている版がありましたら、急ぎご送付申しあげます」。

こちらはユーモア溢れるハンフの一節。「ところで、エラリー・クイーンの作品を元にして、いささか気どった殺人事件のテレビ・ドラマを書いてること、お話ししましたっけ? わたしの書く台本にはみな、バレエだとかコンサート・ホールやオペラといったような芸術的背景があって、殺人の容疑者も被害者もみんな教養があるのです。あなたに敬意を表して、いつか稀覯本を扱う商売を背景に使って、台本を1本物してみるわ。あなた、人殺しの役と殺される役とだったら、どっちになりたい?」。

そして、このほのぼのとした心の交流は、ドエルの突然の死によって終止符が打たれるまで、20年に亘って続いたのです。

二人の手紙の行間から、待望の書物を手にした時の喜び、書物を読む愉しみ、書物を慈しむ心根が伝わってきて、何とも心が落ち着くのです。